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●東遊運動 トンズーうんどう

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 1884年のフランス-安南条約(パトノートル条約)により,ヴェトナム北・中部はフランスの保護領となり,南部とあわせヴェトナム全土はフランス植民地となった。咸宣(ハムギ)帝の討フランスの詔勅に応え,北・中部各地に「文紳(ヴァンタン)」(知識人)の勤王(カンヴォン)運動がおき,19世紀末までつづくが,フランスの徹底した弾圧で衰退した。潘佩珠(ファンボイチャウ)(1867〜1941)は,若い文紳としてこの運動をみており,20世紀に入ると〈王族を盟主に,勤王運動の残党や在野有志を叫合し,外国の協力を得,反フランス運動を起こす〉維新会(ズイタンホイ)を組織した。1904年まで北・中部の各地を歴訪し有志を集め,日露戦争後の日本を協力が得られる外国と定め,年末日本に出発し,1905年,香港で亡命の有力文紳らと会い,上海をへて4月横浜に上陸。東京では,犬養毅・大隈重信・福島安正らと相談し,留学生受け入れを組織化する。この留日運動を東遊運動と称する。1906年(明治39)4月,盟血クオンデ※注1※侯らが来日し,在日維新会は留学生の増加とともに充実する。珠らは日本・中国・本国を往復する。1907年(明治40)日仏協約成立後,日本政府は反フランス=ヴェトナム人組織を監視する政策に変る。1909〜10年(明治42〜43)在日維新会は衰退し,本拠は中国の広東に移ることになる。

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