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●洞祭 トンジェ

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 朝鮮の農漁村における村の祭り。伝統的な村を単位として,守護神の祭場となる神木や祠が存在する。一般的にみて,南部地方では村の入口にあたる道路際にこんもりとした神木が目を引くことが多いが,村の入口に木製や石製の長丞を建てて祭場とする例も少なくない。中部や北部地方では,このほかに村を見下ろす山上の林や叢がそっくり聖地と定められていることも多い。神木にはその根本に祭壇として石を組み合わせただけのものも多いが,中部地方以北では小祠を伴うものも多く,林のなかに瓦屋根の立派な洞神堂をもつものも少なくない。神名は,単に堂神とする例のほか山神,城隍神などが多い。かつて秋葉隆は,朝鮮文化にみられる儒教と巫俗の2重構造が洞祭の型式にもみられるとして,洞祭を儒教式洞祭と巫俗式洞祭の2類型に分類した。儒教式洞祭は,儒礼の祖先祭祀の影響を強く受けたものである。これを構成する要素としては,神位・焚香・茅沙・祝文・献酒がまずあげられ,いずれも祖先祭祀の場合と酷似する。祭官は村人の世帯主のなかで,その1年間に夫婦揃って健康で生気や福徳が多く,喪礼や出産にかかわりの無かった“無故”の者が選ばれる。村の長者たちが相談して適格者のなかから選ぶことが多いが,神意によって選ばれる地方もある。祭官に選ばれた者には,祭日までさまざまな禁忌が課せられる。夫婦同衿をはじめ,遠方への外出,不浄に触れたりみたり言及すること,魚肉食などを避け,斎戒沐浴を欠かさず,門口には黄土を撒いたりしめ縄を張って,喪や産の穢れのある者や乞食などの不浄な者の侵入を防ぐ。ほとんどの場合,祭りは陰暦の上元(正月15日)夜明け前に行われる。供物の準備は,祭官およびこれを補佐する者によってあらかじめ厳粛に行われる。供物にあてられる飯用の米は特定の水田の米を別途に保管しておかれ,また供物は祭りの前に試食することは堅く戒められる。祭場となる神木や祠の周辺,村の入口などにはしめ縄が張りわたされ,黄土が村の道・辻・祭場周辺に撒かれる。祭官は儒教の礼服である道袍をまとって,神木の根木や祭壇あるいは祠に設けられた神位の前に供物を供え,焚香と茅沙とによって降神を行う。ついで漢文の型式どおりの祝文を読み,3度の献酒を行う。祭官その他参席者による焼紙が順々に行われたのち,村人たちが各自の家内平安・農事順調を祈って告祀と焼紙を行う例も少なくない。祭りが済むと祭官をはじめ参席者全員による飲福が祭官の家で行われる。このときに村の大洞契の総会を兼ねて村人全員による飲福を行い,その年の労賃などが定められる例もある。祭りに要する費用は,村人によって構成・運営されている大洞契の資金や契所有の水田(契沓)の小作料を充てるのが一般的であり,必要であれば各戸から均等に金品を徴収して充てる。農楽隊を伴う場合には,祭りの数日前から農楽を先頭にして各戸を巡回しながらその家の家勢に応じて金品の献納を受けて回る。これを乞粒という。農楽を伴う場合でも祭りの最中には参席者をはじめ村中が静粛を保ち,厳粛に執り行うのが儒教型式の特色である。木製の長丞を祭る村では,毎年祭りのたびに新しい長丞を彫って彩色を施して立てる。巫俗型式の洞祭は,かつては広く全国的に行われていたものと考えられるが日本統治下において官憲による厳重な取り締まりの対象となったため急速に衰退した。今日では中部地方から東海岸地方にかけての一部地方で,都堂クッ・別神クッなどの名で,儒教式洞祭と並行もしくは組み合わされて存続しているにすぎない。東海岸の漁村で今日行われている別神クッの場合,村の洞神堂から海岸に設けられた祭場まで,祭主が手にした神竿によって神が迎えられ,巫女によって盛大な歌舞賽神(クッ)が行われる。その多くは,豊漁感謝と祈願および海上での無事を祈るもので,漁民による漁村契が費用を準備する。江陵の端午祭はそのなかでも最も規模の大きなもので,大関嶺の山神と城隍神を迎えて祭る伝統的な型式を伝えている。