●敦煌郡 とんこうぐん
アジア 中華人民共和国 AD
敦煌の地は,漢代以前は月氏,次いで匈奴という中央アジアの遊牧民族の支配下にあった。とくに匈奴は中央アジア一帯を占拠して大帝国を形成し,漢はその勢力に圧倒されて従属的な立場に置かれていた。このような匈奴の圧迫に対抗して断乎たる態度をとってこれを打ち破ったのが,漢の武帝(前130年即位)であった。武帝によって河西地方は漢人の支配地域となり,武威郡・酒泉郡・張掖郡・敦煌郡の河西4郡が置かれた。このうち,敦煌郡の設立は,『漢書』には2説があって判然としないが,近年の研究によって前93〜前92年という説が有力である。『漢書』「地理志」によれば,敦煌郡は敦煌・冥安・効穀・淵泉・広至・龍勤の六つの県よりなり,戸数1万1,000戸,人口3万8,335人であったとされ,かなり大きな都市であることが理解される。敦煌郡は,漢の西域経営の軍事的根拠地として,東西交通の要衝として重要な役割を担うこととなった。