●ドロイゼン
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1808 ライン同盟
1808〜84 ドイツの歴史家で,小ドイツ主義の熱烈な信奉者。1826年から3年間ベルリン大学に学び,1833年にはベルリン大学の私講師,1835年に員外教授となった。1833年に『アレクサンドロス大王史』を上梓,のち拡大されて『ヘレニズムの歴史』となった。ヘレニズムという名称が古典的ギリシア文化とローマ文化との中間の文化を意味するようになったのは,この著述以後のことという。1840年にキール大学教授となり,ここでシュレスヴィヒ・ホルシュタインの国民運動に参加,1848年の三月革命の際にはフランクフルト国民議会の議員となり,プロイセン国王を首班とするドイツ統一に努力した。1851年にイェーナ大学教授に就任,以来学問的活動に専念し,『プロイセン政治史』『史学綱要』を著した。1859年には再びベルリン大学教授となった。彼はヘーゲル・フンボルトとくにフィヒテの影響を受け,歴史形成における倫理力・個性的存在を重視,とくに君主制的・軍国主義的プロイセンの指導的役割を強調した。