●トロイア文明 トロイアぶんめい
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クレタ島,キュクラデス諸島,ギリシア本土の東・南部,小アジア西岸の一部を含み,最終的にはミケーネ文明によって統一されたエーゲ文明の一環をなす。最盛時は前2000年代。孤立的で直接の文明圏はエーゲ海北部に限定されていたため,エーゲ文明からのぞくと考える説もあるが,ミケーネ時代にはその文明圏に入ったと考えられる。地理的には,トロイアはヨーロッパと小アジアのあいだのヘレスポントス海峡に近く,エーゲ海の小アジア側に位置する。このため,ヨーロッパとアジアを結ぶと同時に,黒海とエーゲ海をも結ぶ海陸交通路の交差点にあたる。トロイアの丘(現在のヒッサルリク)は海岸から6.5kmの位置にあり,約30mの小さな丘である。トロイア文明は両大陸の人種と文明の侵入・交替をへて,周辺地域の考古学的研究がいまだ不十分なため,その系譜には不明な点が多いといわれる。シュリーマン(Heinrich Schliemann 1822〜90)はヒッサルリクの丘に9層の遺跡を発掘して,トロイア文明と,ホメロスの『イリアス』にうたわれたトロイア戦争の実在性を証明。彼の発掘による第1市(第1層)は前3500〜前2700年に相当し,金属時代に入っている。堅固な城壁と支配者の館がある。家屋は石の土台に煉瓦の壁が築かれている。遺物は石器・土器がおもであるが,同じ文明圏に属する小アジアのヨルタルでは金属製飾身具・土偶が発見された。すでに穀物・果樹が栽培され,家畜が飼育され,通商が行われている。第2市では城壁は拡大・整備されている。シュリーマンが発掘した豪華精巧な黄金製の装飾品・銀器・青銅製の武器など,いわゆる「プリアモスの財宝」はこの層で発見された。宮殿や邸宅の主体はミケーネ文明において完成されたメガロン形式を備えている。第2市においては,西北方,ヨーロッパ方面から侵入してきた民族が土着の小アジア人を支配していたが,同じ方面からのちに移動してきた民族によって,この第2市は前2000年ごろに破壊された。第3・4・5市は城壁をもたない住居跡があるだけである。トロイアの遺跡が再び城壁をもつようになるのは,前1500年ごろに相当する第6市においてである。城壁は第2市の2倍になり,石灰岩の切石で築かれていた。城内の建築は十分に明らかではないが,メガロン型で,ミケーネ文明の特徴を強く示している。この第6市もヨーロッパ方面から侵入してきたギリシア人によって支配されていたが,前1300年ごろに地震のために崩壊した。シュリーマンは最初,ホメロスの『イリアス』でうたわれたトロイア戦争の舞台は第2市であると考え,彼の協力者デルプフェルトはそれを第6市としたが,最近の研究では第7市,正確には第7市 Aであり,この第7市はミケーネ文明に属することが明らかになっている。第8市はギリシアの植民地であり,第9市はヘレニズム時代からローマ時代の都市でイリオンと呼ばれていた。前4世紀まで栄えていたが,もはや単なる城砦にすぎなかった。