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●奴隷王朝 どれいおうちょう

AD1206 

 1206〜90 デリーに都を置いた,トルコ系スルタンの王朝。北インドを支配した最初のトルコ系の王朝であり,この王朝の成立をもって,以後,ハルジー朝トゥグルク朝サイイド朝・ローディー朝とつづく5王朝を,ふつうデリーのスルタン朝(デリー=サルタナット)と呼ぶ。奴隷王朝の名前の由来は,初代のクトゥブッディーン=アイバク(在位1206〜11)から始まって,おもな君主が,奴隷出身(奴隷は,アラビア語のマムルークの訳語)であったことによる。アイバクは,ゴール朝のムハンマドが1206年に急死したあと,パンジャーブ地方のラーホールで独立の君主として宣言した。彼は,ゴール朝のムハンマドの部将の一人であり,ほかにも有力な部将がいたが,それら部将を抑えて,デリーに都を置いて,デリー=サルタナットの基礎を築いた。彼の時代に,こんにちのデリーの南郊にクトゥブ=ミーナールの建設が始められた。アイバクの後継者としてアイバクの死後,同じく奴隷出身のシャムスッディーン=イルトゥートミシュ Shamsal-Din Iltutmish(在位1211〜36)が位についた。彼は有能な君主で,ゴール朝以来の有力な部将を倒し,奴隷王朝の真の確立をなし遂げた。彼は,自らの支持母体として支配階層による新しいグループをつくった。それは「40人貴族」と呼ばれ,彼の死後の政権を左右することとなった。彼の死後,一時的に立った無能な君主を追い出し,娘のラズィーヤ(在位1236〜40)が君主となったが,男系意識の強い王朝において,女の君主は稀有のことである。短命に終わったラズィーヤのあと,台頭したのが,「40人貴族」の一人であったギャースッディーン=バルバン(在位1266〜86)である。彼は,イルトゥートミシュの奴隷の一人であったが,その能力により貴族に昇進した。彼は,ナスィールッディーン=マフムード(在位1246〜66)の宰相となって自らの支配を確固とし,「法と秩序」の維持のため厳格な支配を行った。彼の死後,急に王朝は弱体化し,滅亡した。