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●トルコ民族 トルコみんぞく

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 人種としては,モンゴロイドに属する。中央アジアより西進し,16世紀には3大陸にまたがるオスマン=トルコ帝国を築いたトルコ人は,白色人種との混血を重ねたが,その子孫であるトルコ共和国の人々さえ,70%以上の新生児の臀部に蒙古斑が現れる。また,言語学的には,すべてのトルコ系民族はモンゴル系諸民族とともにアルタイ語族を形成している。

【歴史への登場】トルコ民族の故郷は,モンゴル民族とともに,モンゴル高原を東西に走る長大なアルタイ山脈一帯であったと推測されている。史上初めてトルコの名をもって記録されたのは,6世紀半ばごろから8世紀にかけて,モンゴル高原や中央アジアで活躍した突厥であり,その名は Turk(トルコ)の漢音訳だというのが定説になっている。突厥は隋・唐の中国王朝と和戦両様の関係をもち,独特の文字を発明して,最古のトルコ語碑文をモンゴル高原のオルホン河畔などに残した。これらは7〜8世紀における突厥諸王の功績を称えたものであるが,最古のトルコ語史料であるのみならず,西域の騎馬遊牧諸民族が,自らの文字によって書き残した最古の歴史的史料でもある。しかし,突厥をもって最古のトルコ民族とする考え方は,今日の歴史学界では完全に否定されている。たとえば,紀元前4世紀に中国の史書に登場し,秦・漢帝国と抗争を繰り返した匈奴がトルコ民族であったことは,世界の歴史学界で有力な説となっている。また,漢帝国との抗争に敗れた匈奴がユーラシア大陸を西進し,ゲルマン民族の大移動の原因となったフン族となったと考える歴史学者も少なくない。フン族は4世紀にゲルマン民族の東西ゴート人を敗走させ,5世紀前半にアッチラ大王の登場によって,ハンガリーを中心とする大勢力となり,東欧・中欧を荒らし回った。一時はローマにまで迫ったフン族も,453年にアッチラ大王が病死すると,その帝国は内乱により崩壊し,民族としては歴史から姿を消した。

トルキスタンの成立】匈奴が漢帝国との抗争に敗北し没落したのちの西域に勢力をのばしたのは,丁零(ていれい)・烏孫(うそん)・鉄勒(てつろく)などの名で漢訳された民族だが,『隋書北狄伝など中国の諸歴史書によると,彼らは匈奴以上にトルコ系である確証が高い。そして,6世紀半ばに彼らを統一し,西域に大帝国を成立させたのが突厥であった。やがて突厥は東・西両国家に分裂し,その両者とも唐帝国に服従させられ,8世紀には同じトルコ系のウイグル族によって滅亡した。突厥に代わって西域の支配者となったウイグル帝国は,9世紀半ばに同じくトルコ系のキリギス族によって崩壊したが,西方へ逃げたウイグル人たちは,中央アジア西部を征服してウイグル帝国を再建した。この国家は諸トルコ系民族の連合国家だったらしい。かくて中央アジアはさまざまなトルコ系民族の支配するところとなり,中央アジアは中世トルコ語で“トルコ人の土地”を意味するトルキスタンと呼ばれるようになった。今日の中国のウイグル自治区,ソ連のカザフ・ウズベク・キルギス・トルコメン・アゼルバイジャンなどの共和国の住民の大半は,トルキスタンを成立させた諸トルコ系民族の子孫である。

【イスラーム世界への進出】中央アジアからは,さらに数派のトルコ騎馬遊牧集団が西進し,イスラーム世界へ入った。彼らは最初その勇敢さと素朴さにより,アッバース朝アラブ帝国代々のカリフの信頼を得て傭兵となった。しかし,やがて彼らはアラブ帝国の実権を握るようになり,野心家の皇族たちのカリフ即位を助けたばかりでなく,しだいに形式上はカリフに従っているものの,実質上は独立王朝である諸トルコ国家を築くようになった。10世紀に成立した,今日のアフガニスタンから北インドを領土としたガズニ王国はその一例である。そして,11世紀に成立したセルジューク=トルコ帝国により,イスラーム世界の主導権はアラブ人からトルコ人へ移り,その後継者であるオスマン=トルコ帝国(1299〜1923)は今日の中近東地域の大半ばかりかバルカン・シリア・パレスティナ・東欧も支配する大国家に成長した。