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●トルコの文字改革 トルコのもじかいかく

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 1922年に帝政を廃止し,翌年に正式に共和制を議会で宣言した新生トルコは,初代大統領ケマル=パシャの要請で,“トルコ言語委員会”を設立し,トルコ語のローマ字表記を研究し始めた。その理由は,13世紀のオスマン=トルコ帝国成立以来,アラビア文字を借用していたが,同文字はトルコ語を表記するには不適当だったからである。すなわち,アラビア語は極端に子音を重視する言語で,母音は三つしかなく,現在も新聞雑誌においても子音のみを表記し,母音は表記されず適当に母音を補って読まれるのがふつうである。ところが,トルコ語は母音が重要な働きをする言語であり,動詞も日本語と同じく語幹と語尾に分かれ,その語尾変化によって,過去・現在・末来・仮定・意志・否定などを表現するのだが,その語尾変化における母音の種類は,語幹の最後の母音に影響される“母音調和”という法則が徹底している。たとえば,「読む」という動詞の語幹は oku で,その三人称過去形は okudu となるが,「来る」の動幹は gel で過去形は geldi と u が i に変化する。こういう母音調和法則をアラビア文字で表記するのは不可能であり,またアラビア文字は,独立形・語頭形・語中形・語末形で書体が異なる複雑な文字表現をする。以上の理由により,帝政時代のトルコの文盲率は90%以上だった。そのため共和国成立とともにトルコ語のローマ字表記が重要課題となり,1928年7月にトルコ語独特の発音を示す変形ローマ字を含む8母音21子音からなる新ローマ字をトルコ文字とすることが議会で可決され,翌年から旧アラビア文字による出版はいっさい禁じられた。これは性急すぎる改革だと知識人は反対したが,共和国建国の父ケマル=パシャアタチュルク)は断固実行し,トルコ人の文盲率は10年間で50%を割った。一説によると,この新ローマ字は大統領ケマル自身が考案したものだという。

〔参考文献〕大島直政『ケマル・パシャ伝』1984,新潮選書