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●トリアノン条約 トリアノンじょうやく

AD1920 

 第一次世界大戦の結果,パリ平和条約にもとづき,1920年6月4日,ヴェルサイユのトリアノン宮殿で,戦勝国とハンガリーのあいだに結ばれた講和条約。

クン=ベーラ政権後】第一次世界大戦に敗れた後,ハンガリーはカーロイ政権が発足し,1918年11月には共和国となった。1919年3月21日,ロシア軍の捕虜となっていたクン=ベーラを中心にしたハンガリー=ソヴィエト政権がカーロイ政権に代わった。クン政権は133日間つづいた後に失敗し,海軍提督ホルティがブタペストを占領した。そして,1920年3月には,国家元首としての摂政に選ばれ,地主や貴族層を足場とした保守政治をしいた。ホルティ土地法を発布して,ある程度の小作農の増加に成功し,悪化していたルーマニア・チェコスロヴァキア・ユーゴスラヴィアなどの近隣諸国や西ヨーロッパ諸国との外交関係の整理を進め,ソヴィエト政権に代わって,君主制をとるハンガリー王国の復活を宣言した。

【条約】戦勝諸国もソヴィエト政権出現に驚き,早期の講和条約締結を考え,ホルティ政権も左右からの世論の攻撃のなかで,社会の安定化を進めようとして,トリアノン条約が成立した。実質的には,大戦後に誕生していた新興国が,すでに占めていた地域を合法的に認めたものにすぎない内容であった。それは,ハンガリーをオーストリアから分離した独立国とみなし,軍備は3万5,000人の陸軍に制限され,スロヴァキアをチェコスロヴァキアに,ヴォイヴォディナ・クロアティアスロヴェニア・ボスニアをセルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国(のちのユーゴスラヴィア)に,バナートの大部分とトランシルヴァニアをルーマニアに割譲し,フィウメはユーゴスラヴィアとイタリアの協定によるとした。この条約によって,ハンガリーは国土の72%を失って10万1,000平方kmとなり,人口も64%が失われた。

【結果】ハンガリーはドナウ川流域の大穀倉平野(アルフェルト)が削りとられたのみでなく,トランシルヴァニアの森林や金・銀・アンチモニー・石油・亜銅・鉄の地下資源を失った。石炭については,30%を失ったにすぎないが,発電の基礎になっていた河水の多くを失ったため,石炭が火力発電に向けられることになった。フィウメを失ったことは,海洋貿易を不可能にし,また,新しい国境線のもとで,国外に残された350万のマジャール人は民族問題として残った。チュコスロヴァキア・ユーゴスラヴィア・ルーマニアは旧ハンガリー領の割譲をうけたためにハンガリーに対する警戒心が強く,ドイツの報復・再興を恐れるフランスを背景にして小協商を結び,ヴェルサイユ体制の不安材料となったのである。

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