●ドラコン
ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD
前7世紀末ごろのアテナイの立法家。生没年不詳。彼は前624〜前623年に法を公布したが,貴族政末期の国制には何の変更も加えなかった。アリストテレスによれば,貧困者の借金のための人身抵当,すなわち奴隷化の問題にはなんら手をつけておらず,この問題の解決はソロンをまたねばならなかった。彼の法の目的は,貴族が自らの利益のために,法を曲げたり修正することを阻止することであり,貴族の横暴・恣意の犠牲になった大衆の不満を鎮めることであった。ドラコンの法のうち,後世まで有効であったのは殺人に関する規定である。殺人の計画なくして殺した場合には,事件の処理は当事者の家の手を離れ,私的報復の可能性を避けるために,裁判は公的処置に委ねられた。しかし,訴訟手続きは当時の慣習を踏襲していた。彼の立場は,後のソロンに比較すれば,現状維持的であった。ドラコンの法は刑罰の厳しさで有名であり,前4世紀の弁論家デマデスは,〈ドラコンの法は血で書かれた〉といい,アリストテレスは,〈ドラコンの法は,罰の厳しさ以外には何のとりえもない〉といっている。