●ドラクロア
ヨーロッパ フランス共和国 AD1798 第一共和政
1798〜1863 19世紀ロマン派の代表的画家。パリに近いシャラントンの名家の出身。16歳のころゲランのアトリエに入り,18歳から公立美術学校へ。かたわらルーブル美術館でルーベンス・ヴェロネーゼらの模写に励み,同門の先輩ジェリコーの影響も受けた。24歳で彼の最初のロマン主義絵画「ダンテの小舟」,26歳で彼の三大虐殺画の一つ「キオス島の虐殺」(発表当時“絵画の虐殺”と酷評された),29歳で「サルダナバールの死」と次々に物議をかもす作品を発表,力強い律動と暴虐の不条理への激しい抗議を掲げた。34歳のときモルネ伯を団長とする外交団に参加,モロッコに旅行,鮮明強烈な色彩に開眼,「アルジェの女たち」などでオリエントのエキゾティズムをかりてロマン主義を確立,古典派の形式主義への抗議と同時に,近代絵画の道を開く革命的な仕事へと進み,印象派への誘発を呼んだ。彼の芸術論や日記は今も読まれている。
![]()