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●豊臣秀頼 とよとみひでより

アジア 日本 AD1593 室町時代

 1593〜1615(文禄2〜元和元)豊臣秀吉の次男。幼名をお拾い(拾丸)。1596年(慶長元)幼くして従四位下とされ,秀頼と名づけられる。母は側室の淀殿(浅井氏)。1599年秀吉の遺命により大坂城西の丸へ移った。同年従二位権中納言。秀吉存命中,諸将は再三秀頼への忠誠を誓わせられたが,死後は諸将の不和が激化,関ケ原の戦いを中心とする全国戦乱(1600)がおこった。秀頼の名をもって集められた西軍は大敗。戦後徳川家康が征夷大将軍となるとともに,秀頼は摂津・河内・和泉60余万石の一大名に転落した。次いで内大臣となり,徳川秀忠の長女千姫と結婚する(1603)。1605年右大臣。1614年,秀頼は秀吉創建の方広寺の大仏再建を完成させたが,寺の鐘に刻まれた〈国家安康,君臣豊楽〉の文字が,家康の名を二つに分けて呪うものだなどと家康の怒りを買った(方広寺鐘銘事件)。これがきっかけとなり大坂冬の陣がおこり同年講和。翌年再び挙兵(大坂夏の陣)し,5月8日敗色濃いなかを秀頼自らも初めての出陣を楼門まで試みたが,城内に放火の噂があって中止。同日,大坂城の炎上を見て,淀君とともに自殺した。民間伝承では,鹿児島に落ちのびたともいわれる。