●伴善男 とものよしお
アジア 日本 AD809 平安時代
809〜868(大同4〜貞観10)平安前期の有能な政治家。父は大伴(のち伴)国道,参議に登ってからも陸奥出羽按察使等を兼ねて活躍した能吏である。その五男に生まれた善男は,仁明天皇に信任されて蔵人と弁官を兼ね,848年(承和15)38歳で参議兼右大弁となり,ついで検非違使別当・式部大輔・中宮大輔・民部卿等も兼ねて歴任し,さらに860年(貞観2)50歳で中納言,864年(貞観6)には大納言にまで栄進した。そのあいだ,僧善ガイ※注1※事件で法理を争い(846),『続日本後紀』の編集に当たり(855),民部省の政務運営や親王年官などにつき改善策を出すなど,積極的に活躍している。しかし,866年(貞観8)応天門が焼失すると,それを左大臣源信の犯行だとして信を失脚させようとしたが,逆に長男中庸に命じて放火させたものだと告訴され,無実を主張しても認められず,死一等を減じて遠流に処され,その2年後,配所の伊豆で没した(58歳)。この応天門の変には当時の政情が複雑に絡んでおり,伴氏は「積悪の家」という烙印をおされて政界から葬り去られたが,善男への同情は後にさまざまの伝説を生んでいる。〔参考文献〕佐伯有清『伴善男』1970,吉川弘文館
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