●土木の変 どぼくのへん
アジア 中華人民共和国 AD1449 明
1449年(正統14)宣府の東方にある土木堡でオイラトのエセンの精騎によって,三大営を中心とする明朝50万の親征軍が覆滅して,英宗がオイラトに捕えられた事件。オイラトの経済的欲求から,朝貢使節の人員が激増し,彼らに対する莫大な額の恩賜にたまりかねた英宗は,オイラトの朝貢使節の人数を厳しく制限し,貿易を圧迫した。これに対して,1449年オイラト軍は4手に分かれて東は満州から西は甘粛にいたるまでの明の北辺に進攻した。英宗は宦官王振に扇動されて,廷臣の反対を押し切り,親征の軍を発して山西省大同までいたった。しかしエセンの本軍が近く,その勢力が強大であることを知り,退却し始めた。そして,途中,宣府においてオイラト軍に襲撃され,さらに土木堡にいたったところでオイラト軍に撃滅され,英宗は捕虜となった。エセンはさらに北京を包囲し,英宗の身柄と引き換えに交易の有利な条件を得ようとしたが成功せず,翌1450年(正統15)英宗を明朝に送還した。土木の変が明朝に与えた影響は大きく,明朝は軍紀を振粛し,辺防を強化し,中央軍を再建した。そして北辺に長城を築いて,北虜に対して守勢に立つようになった。