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●ドープシュ

ヨーロッパ オーストリア共和国 AD1868 オーストリア=ハンガリー帝国

 1868〜1953 オーストリアの歴史家。ボヘミアの小都市ロボジッツで生まれ,ウィーンで学ぶ。1900〜38年ウィーン大学教授。社会経済史的方法でまずオーストリア史,ついでカロリング朝治下のフランス王国史を研究。モニュメンタ=ゲルマニアエ=ヒストリカの公文書編纂の事業にもたずさわり,史料処理の基礎を築いた。主著は『カロリング朝時代の経済的発展』2巻(1912〜13)だが,それを進めた『ヨーロッパ文化発展の経済的・社会的基礎』2巻(1918〜20)は名著といわれる。この本は古代末から中世初期にかけての歴史研究で,豊富な史料にもとづき政治・経済・法制・文化のあらゆる面からローマ世界とゲルマン世界の接触を調べたもので,通説を覆した。ゲルマン民族の侵入によってローマ文化が破壊され暗黒時代をもたらしたという従来の断絶説に対して,ゲルマン民族はすでに遊牧時代を過ぎて定住農業民族としてローマに移住し,ローマ文化を吸収発展させたという連続説を唱えた。この研究は図式的な経済発展段階説を破って緻密な実証による19世紀社会経済史学の総決算といわれる。学者としてはきわめて論争的で旧説に対して激しい批判をしたが,多くの門弟を育てた。