●鳥羽・伏見の戦い とば・ふしみのたたかい
アジア 日本 AD1868 明治時代
1868年(慶応4)正月元旦,徳川慶喜は出陣を決意し,檄を四方にとばし,翌2日兵庫沖の旧幕府軍艦2隻が薩摩藩船を攻撃し,会津・桑名藩兵が,討薩の旗章をかかげて伏見・鳥羽両街道を北上し始めた。旧幕府方軍勢約1万5,000,老中格大河内正質(まさただ)総督の下に,淀本宮に本営を置いた。主力は会津藩兵。陸軍奉行竹中重国指揮。別軍は鳥羽街道を進み,城南宮あたりで薩藩兵に阻止され,伏見に対しては薩長土3藩が奉行所を包囲,鳥羽方面の主力は薩藩兵,兵力は5,000,3分の1程度であった。3日夕刻,鳥羽口で旧幕府軍が戦端を開き,薩軍に襲撃したが敗退。旧幕府軍はゲリラに転ず。翌4日征討大将軍は東寺出陣,飾旗をひるがえす。5日払暁,淀境の激戦で,旧幕軍敗退,敗報を聞いた慶喜は松平容保・定敬らを伴って大坂城脱出,開陽丸に搭乗して江戸へ赴く。淀・津藩は朝廷へ内応したため,勝敗は明確となっている。仁和寺宮嘉新親王が軍事総裁となる。