●土着主義運動 どちゃくしゅぎうんどう
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異なった独立の文化が直接に接することによって,一方または両方の文化の体系に変化が生ずる。これが文化変容と呼ばれるものである。文化体系がある程度くずれ,平衡が乱れてくると,再びもとの安定した体系を回復しようとする傾向が現れる。この調整作用に応じてしばしばおこる現象が反動現象である。こういう反動現象は,R.リントンによって〈土着主義運動〉,M.ハースコビッツによって〈反文化変容運動〉と呼ばれた。欧米勢力が及んで,文化変容が急激におこった未開社会に広く出現し,アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ大陸にわたってみられる。たとえば,アメリカインディアンの“幽霊踊り”,ニューギニアの“ヴァイララ狂信”などがあげられる。【幽霊踊り】1870年ごろから北アメリカ西部のインディアン諸部族のあいだにおこり,スー族のところで熱狂的に受けいれられた。教祖は予言者であり救世主であるとされ,この宗教により昔の楽園がもたらされると信ぜられた。祖先・死者の復活を信じていることと,より良いインディアンの世界を迎える手段として特別な踊りが必要であることが特徴であった。男女が互いの手をとって大きな輪をつくり歌いながら踊りつづけ,失神する者が多数でるほどであった。スー族の幽霊踊りは,騒ぎをあおり混乱をおこそうとしている者がいるに違いないと考えた白人たちが軍隊を出動させ強制的に踊りを止めさせようとしたことにより終わりをつげた(1890年12月29日ウーンデッドニーの虐殺)。
【ヴァイララ狂信】1919年から1923年にかけて,ニューギニアのパプア湾地区のヴァイララ河の河口付近におこり,沿岸一帯にひろまった。シャーマンの一人が忘我状態のなかで啓示をうけ,〈先祖の霊たちが死者の国から,本来は自分たちのものであるが,今は白人の手中にあるさまざまな財物を積んで汽船に乗って帰ってくる。そのとき白人は駆逐されてしまい,世のなか全体に変化がおこる。祖先を迎える祭の準備をしよう〉といったことから始まった。忘我的踊りが行われ,急激な信者の増加をみたが,実際には予言された新しい世界の実現が果たされず,人びとの期待に答えられなかった信仰は表面上は消えてしまった。しかし,よく似た運動はメラネシア各地に繰り返し発生し,社会運動に変化しながら比較的最近にいたるまで根強くつづいてきている。1946年に始まったアドミラルティ諸島のパリアウ運動がその例である。
文化変容のあるときに必ず土着主義運動がおきるとは限らない。文化の解体があまりひどすぎると文化は復元力を失ってまったく崩壊してしまうし,文化変容が徐々に行われ,解体の程度がわずかで,復元作用,あるいは自己調整作用が少しずつ行われれば,大きな社会運動としての土着主義運動にまでは発展しない。A.I.ハロウェルは,文化変容に際して生まれた欲求不満が,土着主義運動の原因であるといっている。一度変容した行動様式を以前に習慣化していた行動様式に戻そうとしても現実上むずかしいため,非現実の世界に逃避して救世主の実現をねがったり,神がかりの境地に入ったり,呪術・宗教的な非現実的なやり方で,より満足した事態をつくり出そうとする。こうして呪術・宗教的な土着主義運動が生まれると考えられる。土着主義という用語が使われているのは,伝統的文化の諸要素の強調とか,以前の行動様式の復活を求めることが強調されている点に由来する。最近では「千年王国運動」の一つとして分類されることが多い。「千年王国」とはユダヤ・キリスト教的世界観に由来するもので,間近かに究極的・現世的な救済を予期する社会的宗教運動一般をさして用いられる。ヨーロッパ中世には種々の千年王国運動がみられた。日本でも近世の“おかげまいり”や“ええじゃないか”などに似たような側面がみいだされる。