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●土蔵造 どぞうづくり

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 西洋建築の導入にあたって和洋折衷建築の一つとしてつくられたもの。1881年(明治14)東京府知事と警視総監の布達火災予防事業として打出されたものに,路線に面する建物は「煉瓦・石造・土蔵造」のいずれかにしなければならないとある。その結果,明治中期につくられた黒壁をもつ土蔵造りがある。これは煉瓦造りと対抗したものであり,費用は同じくらいかかっている。それにもかかわらず,黒壁をもって土蔵造りが行われたのは,欧化主義への反発によるところが大きい。これが江戸時代の黒壁をもつ土蔵造りへの回帰を求めることとなった。日本橋はそうした町並みとなる。1893年3月17日川越の中心部が焼け,土蔵96棟が全焼している。そのあと2年間で28棟近く建築されている。これは東京の影響である。そして店蔵をつくっている。江戸の蔵造とはその建築の構造が異なる点を強調しておきたい。

〔参考文献〕初田亨『都市の明治−路上からの建築史』1981,筑摩書房