●都市民俗学 としみんぞくがく
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日本民俗学のなかでも,とくに都市社会を対象に庶民(大衆)の生活習俗や,民間伝承を分析研究する方法論をいう。1960年代以降,日本ではムラの民俗社会の変容に加えて都市社会の膨張が著しい。1970年代には隣接科学(都市社会学・都市人類学等)の成果に刺激され,都市における民俗研究も問題視されるようになった。民俗の都市論は,すでに柳田国男の『時代ト農政』(1910)や『都市と農村』(1929)『明治大正史・世相篇』(1931)のなかで集約的に扱われ,とくに都市と田舎(鄙)の関係は対立的ではなく,歴史を通じて相互に依存し影響を与えあう連続体的関係であることを強調している。しかし1930年代に柳田が想定していた“常民”の基礎概念は,現在のような都市社会の出現にあっては適合し難い一面がある。今日,民俗学の一般理論を含めた修正,すなわち新たな常民論の再構築を目指す方法論の一つとして,都市民俗学への関心が深まっている。しかし,都市を調査の対象とした場合,あまり伝統性があると思われない近代産業都市や,急激な人口の肥大化によって生まれた商業都市などは,従来の農村で行われてきた民俗調査の方法で,実態を捉えることは困難である。なぜならムラが,土地に根ざし定住化した“家”の継承という,民俗社会の基礎ともいうべき伝承母体を明確にしているのに比して,都市では,人口の流動性が高いうえ種々の職業人が寄り集まっていること,また,主として,一代限りの技能や肉体労働により生計をたてる人々が多いために,固定的な伝承母体を見出すことができないからである。しかし,和歌森太郎のたてた〈民俗は三世代を経て定着する〉という仮説からは,都市で生成した民俗は十分に考えられ,たとえば旧城下町である近世都市や門前町・宿場町・市場町を核とした商業都市には,比較的歴史が浅くても都市的要素をもった民俗事象が展開されている。この場合,千葉徳爾が指摘するように〈新旧の民俗の変化の重なりや混在に注意し,あるいはムラの民俗が洗練化され表層文化に至る過程のそれらの交錯する場が都市である〉といった認識が必要となろう。また宮田登は,柳田の“都鄙連続体論”に依拠しながらも,都市の部分文化・部分社会を形成させることによって,都市民俗が成立するといった視点を問題にしている。この部分文化・社会という概念は,都市の伝承母体論につながる。固定した集団社会とは異なり生活の部分部分で集合する集団,たとえば文化集団・新興宗教の集団,アパートメントや団地・同業組合といった集合体では,構成員はめまぐるしく変わるが,団体そのものは継承されていく性質のものだけに,都市の部分社会として形成され伝承母体となりうるものであろう。さらに都市の民俗の諸特徴として,宮田登は都市の周縁部や坂道などに怪異譚が発生することや,四辻などの曖昧地に辻切りや強盗が出没する事象を取り上げて民俗空間のトポロジー(Topology)論を展開し,〈地域社会の内部で都市化現象が顕在化したとき,民俗空間としての存在理由を明示する根拠となるであろう〉と説明している。また長野県の新興団地を調査した倉石忠彦は,団地の昼と夜とを区別し,昼間は主婦と子どものコミュニティー社会で民俗社会の性格が異なることを指摘した。そのほか城下町金沢を対象に,都市民俗の具体的事例をあげる「金沢民俗をさぐる会」では,城下町のもつ独自の民俗空間の表徴を記号化し,地方都市のもつメンタリティー(心性)に依拠した色の民俗性,下町意識などを明らかにしている。都市民俗学の今後の課題としては,柳田都市論の一つである「世相解説の史学」にもとづいて,とくに大都市の大衆心理を対象に社会不安・生活不安に起因する,新しい民俗の生成が問題となってくるであろう。〔参考文献〕千葉徳爾『民俗学のこころ』1978,弘文堂
宮田登『都市民俗論の課題』1982,未来社
金沢民俗をさぐる会編『都市の民俗・金沢』1984,国書刊行会