●都市化 としか
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都市化の概念は,初め社会学において登場し,「農村社会が都市社会へ変質する過程」がその中心としてとりあげられている。社会学以外では,たとえば都市の代表的な指標が人口であることから,人口学では「工業化により労働力人口が集積する過程」としてとらえているし,都市を地域現象としてとらえる地理学では,「近代産業の発展によって rural な地域が urban な地域へ変質する過程」とする概念規定などがある。このほかにも多くの学問分野で固有の都市化の規定が試みられているが,そのいずれも都市化を「非都市的な状態が都市的な状態へ変化してゆく過程」としている点では共通している。【都市の定義】ところで,都市化をこのように規定すると,“都市とは何か?”という都市の定義の問題に逢着する。日常用語としての“都市”には広くコンセンサスが存在している。しかし,都市化を時間的経過を伴う社会の変化の過程の一つとしてとらえる以上,都市の客観的な定義が望ましい。M.ウェーバーは,〈都市はさまざまな方法で定義できる〉と述べ,W.ゾンバルトは〈都市を一義的に定義することは容易でない〉と指摘したが,それは,都市がいわばその時代の社会の縮図であり,都市は社会のほとんどあらゆる局面にかかわっているからである。〈民衆なくて何の都市だ!〉というシェークスピアの戯曲にあることばも都市を定義したものといえるし,〈都市はマーケットの所在地である〉というウェーバーの表現もまた定義の一つである。このように都市の一側面をとらえた定義は無数にあるが,ゾンバルトの指摘のようにすべての時代の,すべての都市の局面を包括的,かつ簡潔に定義することはほとんど不可能に近い。しかし,このような無数といえる定義も,大きく分類すればおおむね次の類型にまとめることができる。[1]人口や家屋等の集中・集積に関するもの,[2]商・工業,各種サービス業など,都市の経済機能に関するもの,[3]高い文化水準・多様な機会の存在などに関するもの,[4]精神的・行動的自由,あるいはこれらを可能にする制度や都市的生活様式に関するもの。これら諸類型の定義を組み合わせれば,都市のより包括的な定義も可能となろう。
【都市の都市化】以上のように,都市をいかに定義するかによって,何を都市化としてとらえるかの具体的な内容も変わってくるが,その一つの例として地域的側面に関する次のような問題がある。都市の定義が都市と非都市(一括して農村とする)の異質性を強調する場合,両者はその間に一線を画して区別することが可能である。都市と農村が地域的に異質であれば,両者は地表に一線を画して区別することができる。中世の囲廓都市はまさにこの例で,城壁が都市と農村を画然と分けていた(〈村落のうち,周囲に牆壁を持つものを都市という〉マウラー)。このような都市・農村のとらえ方を都市−農村二元論というが,この二元論の立場をとると,都市化は rural なものが異質な urbanなものへ質的に変化することである。この二元論に対し,もう一つの立場は,都市と農村の違いは質的なものでなく相対的なものにすぎない,とするもので,都市−農村連続論と呼ばれる。この連続論によれば,一方の極にきわめて urban な状態があり,他方,反対の極にきわめて rural な状態があり,現実の集落(都市・村落)はその中間に連続的に位置づけられており,両者の違いは相対的なものにとどまるから,その間に一線を画して区別することはできない。この二つの立場のいずれをとるかによって,すでに urban な状態がさらに urban な性格を強める過程をも都市化に含めるかどうかが分かれる。二元論の立場は,都市化を近代化の地域的表現とする考えからすれば,産業における近代的生産様式の導入・発展によって生産力の飛躍的な拡大が可能になり,その結果,土地利用形態においても,人間労働の形態においても以前の状態とは質的に異なる近代的な概念の都市が出現したことがまさに都市化である,とするのである。しかし,戦後の都市発展は,従来のように既存都市の市街地の外方への拡大という直接的な働きかけで農村空間を変えるにとどまらず,生活様式の都市化に伴い,農村内部でも土地利用形態や労働形態において農村的なものから都市的なものへの変質が生じている。さらに現代の都市を代表する大都市の範囲が,同質性でなく結節性にもとづいてとらえられるるようになったため,従来の都市−農村二元論は現実の都市化をもはや十分に説明することができなくなってきた。このため,都市−農村連続論がより妥当であるといえるが,この連続論によれば,都市内部の高層化はより urban な状態への変化であり,都市化の一例とすることができる。
【都市化の指標】都市の定義いかんで都市化ととらえる指標も決まる。ソローキンとツィンマーマンは,都市社会と農村社会を区別する指標として,[1]職業,[2]環境,[3]自治体の規模,[4]人口密度,[5]人口の異質性・同質性,[6]社会的分化と階層性,[7]移動性,[8]相互作用組織の八つをあげた。一方,アメリカの都市社会学者 L.ワースは,[1]人口規模,[2]人口密度,[3]人口の異質性を指標としている。この例からも,都市と農村を区別する指標として,人口規模・人口密度・人口の異質性が有効であることが明らかである。地理学では,このほかにも土地利用形態・労働形態などが有効な指標として取り上げられる。
【都市化のエネルギー】非都市的なものが都市的なものへと変化してゆく過程を促す原動力は,さまざまな形で社会のなかにビルト=インされているが,現代世界にあってはその中心となるのは公的・私的な資本である。とくに資本主義社会においては,近代的な生産様式における資本の拡大再生産過程が一次産業形態よりも二次・三次産業形態をより有利とするから,二次・三次産業の繁栄の地域的表現としての都市化は産業発展段階と深く結びついている。したがって,都市化の進行の度合は,エネルギーとなる資本の投下量に左右されるところが大きい。
【反都市化】発展段階的に時期的なズレはあるが,都市化現象は経済発展の必然として先進・後進の別なく世界各国でみられる。しかし,このように都市化が進むなかで,一部の都市はその存立の経済的基盤の産業の衰退・消滅により,人口減少・消失,都市的土地利用の縮少・消滅のように都市化に逆行する現象が生じている。19世紀のアメリカのカリフォルニア州の金鉱都市のゴーストタウン化はその典型で,日本でもエネルギー革命後の九州や北海道の炭鉱都市の人口激減などの例がある。このような現象はマイナスの都市化とも呼ばれる。さらに,これまでの都市化に逆行するより重要な動きが1970年代に先進諸国で表面化してきた。米国の地理学者ベリーは,1970年代に入り都市部人口が農村部へ移動を始めた現象に注目し,建国以来200年近く一貫してつづいてきた農村部から都市部への人口の流れの方向が今や逆転しようとしている背景には,より快適な生活環境に価値を見出す市民の新しい居住観が価値観の多様化の一環として生まれてきたことを指摘し,この現象を反都市化と名づけた。日本でも,東京・大阪・名古屋の3大都市圏への人口・産業の極度の集中に代表される戦後の都市化が,1970年代後半に入ると明らかに鈍化の兆しをみせ,大阪・名古屋の両大都市圏の人口は社会減へと転じた。さらに全国的にも1975〜80年(昭和50〜55)の5年間には東京都を除くすべての道府県で人口が増加しており,戦後の都市化の傾向が今や変わろうとしていることを示している。この新しい傾向はアメリカの反都市化と同じ理由によるものと考えられる。反都市化はイギリスや西ドイツなどでもみられるが,一方,社会主義圏ではソヴィエトをはじめ東欧各国で依然として大都市集中を頂点とする都市化が進行中で,途上国の多くも大都市中心の都市化がめざましい。