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●土佐藩 とさはん

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 土佐国一国を領有した外様藩。1600年(慶長5)関ケ原の戦い後,山内一豊が藩祖となってから廃藩置県にいたるまで山内忠義・忠豊・豊昌・豊房・豊隆・豊常・豊敷・豊雍・豊策・豊興・豊資・豊煕・豊惇・豊信・豊範と16代つづいた。石高は20万2,600石余,実際は24万8,300石余,幕末には約50万石となる。一豊は要地に一門・重臣を配して支配体制を整え,高知城を築き城下町を設営する。忠義に用いられた野中兼山の諸政策によって藩政は確立。だが兼山政治は,民衆の不満と政敵の弾劾によって失脚し寛文の政替による藩政の転換が行われる。地方知行から蔵米知行へ移行し,年々の貢租の平均化がはかられ,天和の改革実施により藩政の完成期を迎える。元禄大定目の公布はこれを意味するが,藩財政はしだいに苦しくなり,宝暦期に入って藩政は動揺し始める。専売制実施により農民一揆がおこるが,豊雍によって天明の改革が行われ一応安定した。天保の飢饉は大きな打撃となり,豊煕は天保の改革を行ったが挫折した。天保期に結成された庄屋同盟は,のちの勤王運動の温床となり,幕末の土佐藩は大きな役割を果たした。豊信(容堂)に起用された吉田東洋は安政の改革を行うが,武市瑞山を盟主とする土佐勤王党の反撃をうけて,1862年(文久2)暗殺さる。以後容堂の公武合体と勤王党の主張とがからみあって進展するが,坂本龍馬の献策を基とする大政奉還建白によって,土佐藩は時代転換の推進を行った。明治維新で高知藩となる。

〔参考文献〕平尾道雄『土佐藩』1965,吉川弘文館

山本大『土佐藩』(『物語藩史7』所収)1965,人物往来社