●土佐 とさ
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四国南部の国。『先代旧事本紀』には波多・都佐の二国を記す。平安初期までに幡多・吾川・土佐・安芸の4郡のほか高岡・長岡・香美の3郡が新設される。『和名抄』には7郡の下に43郷を記す。国府は長岡郡に設置され,紀貫之の来佳は有名。724年(神亀1)遠流の国と定まる。『延喜式』には,官道の上り35日・下り18日・海路25日とみえる。式内社は21社。平安・鎌倉時代の荘園の発達で大忍・津野・幡多の大荘園のほか多くの荘園が成立した。守護・地頭の設置で,梶原・佐々木・豊島・三浦らの諸氏が守護となり,鎌倉末期には北条氏の手中に帰した。南北朝の内乱以来,細川氏の守護領国となり,細川氏の一族が守護代として香美郡田村庄に来佳し,長宗我部氏はその被官として活躍,戦国期には豪族が台頭,幡多郡は一条氏の基盤となったが,1575年(天正3)長宗我部元親が統一した。元親は四国を制覇したが,1585年豊臣秀吉に敗れ,土佐一国を安堵される。元親のあとをついだ盛親は関ケ原の戦いで敗れ,除国される。ついで山内一豊が土佐の国主となり,以後1859年(安政6)の豊範襲封まで16代を数えるが,藩政は比較的平穏に推移した。初期の野中兼山の施政・幕末の土佐藩の活動・南学の発展などは有名。1871年(明治4)高知県となる。〔参考文献〕山本大『高知県の歴史』1969,山川出版社
高知地方史研究会編『高知県歴史年表』高知市民図書館