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●都護府 とごふ

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国,唐の時代に辺境警備や占領政策のために置かれた軍事経略機関。漢代(前1世紀以降)にも置かれたが,一般には唐代のものをさす。〈東西南北を安んずる〉という意味を含めて,安東・安西・安南・安北の都護府のほかに,北庭・単于(ぜんう)の都護府を設置した。これらは六都護府といわれる。都護府の長官は都護と呼ばれ,ここに派遣された兵の統轄と当該地の民族の慰撫などの任にあたった。安東都護府は668年(総章1)平壌(現在の朝鮮民主主義人民共和国)に置かれ,東方経略の拠点とされた。安西都護府は640年(貞観14)高昌(吐魯番)に置かれ,北庭都護府とともに西域諸国の管理・西方通商路確保の目的のために重視された。安南都護府は679年(調露1)宋平(現在のヴェトナム社会主義共和国ハノイ)に設置され,南方の異民族統治の拠点となった。一時鎮南都護府と改められたが,このとき長官として阿部仲麻呂が赴任した(760〜761)ことはよく知られている。安北都護府は647年(貞観21)に設置された燕然都護府を669年(総章2)に改称して,北方の異民族の鎮撫にあてた。単于都護府は650年(永徽1)東突厥を降し,帰化城(綏遠省)に設置。北庭都護府は702年(長安2)庭州新疆省ウルムチ)に設置し,西突厥を経略した。唐の文化を摂取しながら民族意識を高めていった周辺の民族・国家の興隆によって,これらの都護府は7〜8世紀になると複雑な変遷過程をたどりながらその機能を失い,これに代わった辺境藩鎮が辺境防衛の機能を果たすこととなる。