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●独立党・事大党 どくりつとう・じだいとう

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 朝鮮史の専門家では一般的に開化派(独立党)・守旧派(事大党)との用語を使っている。事大党の名称は,李朝時代の支配層が伝統的に清国に対し事大の礼をとらされていたことによる。19世紀後半期の事大的な閔氏政権は,驪興閔氏派を中心として,安東金氏派,豊壌・楊州趙氏派の三つの派閥によって構成されていた。開化派は1880年(明治13)ごろ金玉均朴泳孝・洪英植らが朝鮮の近代的改革をめざして同志を糾合したグループである。守旧派が清国を後ろ盾にしていた関係上親清的であったのに対し,開化派は日本の明治維新以後の日本の近代化を具体的に学ぶことと,さらには,封建的な閔氏政権をてこ入れしている清国を牽制するためにも親日的立場であった。開化派は1884年12月には,日本軍の支援のもとで甲申政変をおこして閔氏政権を打倒して開化政権を樹立した。しかし閔氏一派の守旧派の要請にもとづいて,清軍の干渉で3日天下で失敗した。敗れた開化派のおもな指導者は日本などに亡命する。その後閔氏政権は復活したが,1894年7月,日本軍によるクーデタで閔氏政権は打倒され,開化政権が樹立され,甲午改革を断行した。しかし1896年2月の露館播遷で開化政権は打倒され,親日的な開化派は没落し,その後は独立協会派が台頭して近代的改革の推進役となった。事大派もまた清国の宗主権の喪失に伴って清国との連携もまた消滅した。