●徳政一揆 とくせいいっき
アジア 日本 AD
室町時代,徳政令の発布を要求した土一揆。貨幣経済の発達に伴って畿内農村の窮乏が激しくなり,個々の村では村落の枠をこえ,惣組織をより広く連合結束し,これに在地の地侍らが主導して,支配者に徳政令を出すことを要求し,寺社や土倉などの高利貸業者を襲った。その組織は広い階層に及び,武装して集団活動を行い,支配者側を動揺させた。1428年(正長1),将軍義持の死去,後亀山天皇の皇子小倉宮の伊勢における挙兵,折からの凶作と流行病の伝染などがあって,8月,近江坂本で馬借が一揆をおこし,山城・大和から近畿一帯にまで拡大した。近江・山城の郷民らは,幕府に徳政令を強要した。結局,要求は成功せず,私徳政の形となった。1441年(嘉吉1)将軍義教の謀殺まもない8月,土一揆が勃発して徳政を強請,同9月,幕府は徳政を行い条目を定めた。その後1454年(享徳3)の山城土一揆や,1456年(康正2)9月の土一揆のときも徳政を要求し貫徹した。応仁の乱後は少なくなった。