●徳川慶喜 とくがわよしのぶ
アジア 日本 AD1837 江戸時代
1837〜1913(天保8〜大正2)徳川15代将軍。水戸藩9代藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)の第7子。幼名七郎麿のち昭致(あきむね)。字は子邦,号は興山。1847年(弘化4)一橋家を継ぎ,慶喜と改名。刑部卿と称した。将軍家定の継嗣問題がおこると松平慶永らいわゆる一橋派に擁立されたが,井伊直弼ら南紀派の推す徳川慶福(とくがわよしとみ)と争って敗れた。安政の大獄では隠居謹慎を命じられたが,井伊の死後許された。1862年(文久2)幕政改革により将軍後見職となり,幕政の中枢に立って公武合体の政策を推進した。1864年(元治1),禁裏守衛総督・摂海防御指揮となり,禁門の変では長州勢撃退の指揮をとった。1866年(慶応2)家茂死後,15代将軍に就任,翌年山内豊信(やまのうちとよしげ)の建白を機に大政を奉還。1868(明治1)の鳥羽伏見の戦いののちは江戸・水戸・駿府に謹慎して罪に服した。のち許され,晩年公爵・貴族院議長となる。
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