●徳川光圀 とくがわみつくに
アジア 日本 AD1628 江戸時代
1628〜1700(寛永5〜元禄13)第2代水戸藩主。初代頼房(よりふさ)の第3子。幼名千代松(ちよまつ),9歳で元服して光国といった。のち国を圀と改める。字は徳亮(とくりょう)・観之(かんし)・子竜(しりょう),号は日新斎・常山(じょうざん)・梅里(ばいり)のほか,隠居後西山(せいざん)・西山隠士(せいざんいんし)などを用いた。頼房創業の後を継ぎ,自ら学問を修め,高い識見によって種々の政策を実施した。社寺の整理と復興,殉死の禁止,笠原水道の開設,貧農救済と産業の開発,巨船快風丸による蝦夷地探険など注目すべきものが多いが,とくに彰考館を設立し,諸国から学者を招聘して『大日本史』の編纂を開始し,義理名分を明らかにした事績は重要である。このほか『神道集成』『礼儀類典』『花押藪』など多数の編纂書がある。江戸時代の“名君”の典型と考えられ,権中納言の唐名から水戸黄門と呼ばれる。諡号を義公という。