●徳川家茂 とくがわいえもち
アジア 日本 AD1846 江戸時代
1846〜66(弘化3〜慶応2)江戸幕府の14代将軍である。和歌山藩主であった徳川斉順の長男として生まれ、母は松平氏であった。11代将軍家斉の孫にあたる。幼名は菊千代と称し、のちには慶福(よしとみ)と呼ばれ、院号は昭徳院である。13代将軍だった徳川家定の後を、誰が受け継ぐかということで、一橋派が後おしをする一橋(徳川)慶喜(よしのぶ)と激しく争ったが、大老井伊直弼(なおすけ)たちの擁立で、1858年(安政5)将軍になった。公武合体運動により、仁孝天皇の皇女和宮(孝明天皇の妹)と結婚した。困難を加える内外の政局において、攘夷運動はだんだんと幕府を窮地に追いこんだ。1862年(文久2)結婚後も政局は困難の度を増し、一橋慶喜を後見職に任命した。1863年3月家茂は、二条城へ入り、また攘夷断行を決断した。1864年(元治元)第一回長州征伐。1866年(慶応2)再征半ばで病気のため死去した。