●徳王 とくおう
アジア モンゴル国 AD1902
1902〜66 モンゴル族の政治家。モンゴル名はデムチュクドンロブ(徳穆楚克棟魯普)で,字は希賢。清朝のチャハル部シリンゴール盟西スニト旗のジャサク(旗長)の家に生まれ,辛亥革命後,1924年シリンゴール盟副盟長になった。徳王は年少時,北京の蒙蔵学校で,中国式教育を受けたという。1929年チャハル省の政府委員となり,しだいに内モンゴルの“高度自治”を要求するようになって,1933年自治会議を開いて「内蒙自治政府組織法」を決議した。国民政府と交渉し,自治運動が発展しなくなると徳王は日本軍部と結ぶようになり,1936年「内蒙軍政府」を成立させ,同年末には綏遠事件をおこしている。日中戦争勃発後の1937年徳王を総務委員長とする「蒙疆連合委員会」が成立,1939年には徳王を主席とする「蒙古連合自治政府」が成立した。両者とも実権は日本人たちが握っていたといわれる。戦後,いったんモンゴル人民共和国に逃亡したが,つかまって中華人民共和国に送還された。