●土偶 どぐう
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人間をかたどった土製品をさす。その最古のものはチェコスロバキアのドルニ=ヴェストニッツェ遺跡から出土しており,旧石器時代にさかのぼる。わが国においては後期旧石器時代の大分県岩戸遺跡のこけし形石製品や縄文時代草創期の上黒岩岩陰遺跡の線刻岩偶などが人物像の祖形とされ,直接的ではないにしても,これらが縄文時代の土偶になんらかの影響を与えたと考えられる。新石器時代になると広く製作されるようになり,日本・インド・西アジア・ヨーロッパなどに認められる。西アジア・ヨーロッパの土偶は玩具や副葬品と考えられるものもあるが,多くは呪術的な偶像とされ,しばしば乳房や臀部を誇張した女性像がみられることから,生産の神としての地母神崇拝を表すものと理解されている。日本においても,土偶は新石器時代の縄文時代に盛んに製作され,女性であることを強調したものが多いなど,汎世界的に共通する要素が指摘される。しかし,西アジア・ヨーロッパのそれが農耕を基盤とした社会に認められるのに対し,わが国の縄文時代は基本的に狩猟採集社会であるという根本的な違いがあり,同列に論ずることはできない。その解釈は呪物説・安産護符説・玩具説・神像説・装飾品説・護符説など諸説が唱えられている。土偶の出土状態も,[1]土器・石器に混じって破片がばらばらに出土する場合,[2]ピットや土壙のなかに埋納されている場合,[3]土器などのなかに納蔵されている場合,[4]土壇や台石の上に安置されている場合,[5]石囲い遺構などから出土する場合など,さまざまな在り方を示しており,すべてに単一の性格を付与することはできない。しかし,これらのなかでも破砕された状態で出土する事例が最も多く,このことから,人々が故意に土偶を傷つけることによってけがや災害の身代わりとしたのではないかとも考えられている。
わが国の最古の土偶は千葉県・茨城県の縄文時代早期前半の遺跡から出土している。その形態は逆三角形や糸巻形の板状を呈し,顔の表現を欠く頭部を有する。四肢もわずかな張り出しで表現し,簡単な作りであるが,女性像の特徴を表す乳房は強調している。前期でも板状を基本とするが,顔の表現が認められる。また,前期後半になると,東北地方の十字形板状土偶の出現,関東地方での下肢表現の萌芽などの地域差が生じ始める。中期には東日本一円に製作地が拡大し,表現も複雑化する。地域差もいっそう明確となり,東北地方は懸垂孔のある板状土偶が盛行し,関東・中部地方では直立可能な土偶が出現する。後期にいたると,東北・関東・中部地方の東日本に加えて,西日本でも土偶が製作されるようになる。東北地方では四肢を有する土偶が出現し,とくに南部では蹲居(そんきょ)姿勢をとるものも出土する。関東地方では,まずハート形土偶が出現し,山形土偶・みみずく土偶へと変遷する。また,後期初頭には南関東地方を中心として筒形土偶も認められる。西日本の近畿・中国地方では糸巻形の土偶が一般的に認められる。晩期には東北地方を中心とした東日本に遮光器土偶が盛行し,関東地方ではみみずく土偶も認められる。
その後,晩期末から弥生時代にかけて,関東・中部地方に容器形土偶が存在するが,土偶製作一般は衰退に向かう。
〔参考文献〕八幡一郎『日本の先史土偶』ミュージアム99,1959
江坂輝禰『土偶』1960,板倉書房
江坂輝禰・小野美代子『土偶の知識』1984,東京美術
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