●同和対策事業特別措置法 どうわたいさくじぎょうとくべつそちほう
アジア 日本 AD
日本社会に今なお生きている部落差別を解消するため,1969年(昭和44)7月から1982年(昭和57)3月末まで13年間,政府および地方公共団体に同和対策事業を施行することを義務づけた法律。1965年(昭和40)8月,政府に設置された同和対策審議会答申の結語に,従来,同和対策施策が一般行政施策のなかで運用されてきたが,事実上,同和対策は行政の枠外に置かれている状態であるので,これを改善し,明確な同和対策の目標のもとに,関係制度の運用上の配慮と特別の措置を規定する内容をもつ特別措置法を制定せよとの答申であった。答申を受けた政府は,これを具体化するため,関係各省と審議を重ね,同和対策長期計画を閣議了解事項とするとともに,10カ年の長期計画を実施するため公布施行された法律である。1871年(明治4)8月のいわゆる「部落解放令」以来,その具体的な裏付けを切望し運動してきた部落解放闘争の画期的な成果であり,「昭和の解放令」と評価され,その後の同和対策事業はこの法にもとづいて施行されるにいたった。政府はこの法の施行に先立って,〈同和対策審議会答申の趣旨を尊重し,英和と勇断をもって不断の努力を続ける決意であるが,他面,この問題の真の解決には,国民があげてこれに真剣に取り組む姿勢が不可欠であると信ずるものであり,ここに国民の一致した協力を期待する〉と表明した。この特別措置法は同和対策事業の目的を明らかにし,国および地方公共団体の行政責任として事業を迅速かつ計画的に推進することを義務づけ,国民に対しても,この事業の本旨を理解して,相互に基本的人権を尊重するとともに,円滑な実施に協力するようつとめよと規定している。そして国の施策を明示するとともに,国の施策に準じて地方公共団体が必要な措置を講じるよう定めている。ことに同和対策事業を進めていくための経費について,事業主体となる地方公共団体に対して,国は予算の範囲内で国の算定した経費の3分の2の割合で助成することや,必要に応じて地方債の発行を認め,その元利返還についても大幅な援助をしようというものである。その事業内容は生活環境の改善,社会福祉および公衆衛生の向上と増進,農林漁業の振興・中小企業の振興,住民の雇用の促進と職業の安定,学校教育および社会教育の充実,人権擁護活動の強化,その他必要な措置となっている。しかし事業の実施において,当初から疑義がもたれた。[1]10カ年という時限立法でもって,明治以来の長年にわたる行政の不備を十分に補えるか,[2]この法の事業内容が部落差別を支える一つの柱,実態的差別の解消のための事業に重点を置き,他の一つの柱,教育啓発や基本的人権などの心理的差別を解消する施策が従となっていること,[3]事業は国の主体性をうたいながら,実際の事業主体は地方公共団体であり,もし地方公共団体が施策を行わない場合,国はもちろん助成金は出さないが,国が地方公共団体に対して同和対策事業を促進し助言するなどの行政措置を行う規定がないこと,[4]国の助成金のあり方について,予算段階の経費と実行段階の経費について差があり(高度経済成長のときでも,物価騰貴がつづいた),その不足分は結局,地方公共団体もちになること。[5]同和対策事業を積極的に実施していくと,それに伴う人件費なども,地方公共団体もちとなることなどの弱点があった。その上,この立法趣旨の一般国民に対する啓発活動が不十分であったため,同和問題ぬきの同和行政となり,ねたみ差別(逆差別)をおこすことにもなった。10カ年の事業進行中,1973年(昭和48)秋の石油ショックによる地方財政の窮乏に伴い,年次計画の縮小または停滞を余儀なくされる地方公共団体が出てきたので1978年(昭和53)末の臨時国会で,3項目(法自身の総合的再検討・公共団体の経費軽減・国民への啓発)を付して3カ年延長になった。その後なお差別事象はいぜんとしてつづき,地区住民の中高年齢者の就労にも問題があるとして,1981年(昭和56)12月の同和対策協議会の意見具申により,これまでの同和行政の見直しの上に立って,1982年(昭和57)度から1986年(昭和61)度まで有効の地域改善対策特別措置法に引き継がれた。