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●同和教育 どうわきょういく

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 同和問題の解決,すなわちわが国における部落差別の完全解消をめざし,同和問題(部落問題)が提起する教育の課題にこたえて行われる教育実践の総称。部落解放教育ともいわれる。同和教育は,学校教育・社会教育の双方において行われるが,この場合,すべての児童・生徒および社会人に部落問題を中心とする人権問題についての正しい理解と感性を培うための教育,すなわち部落差別の現実をふまえた人権教育という側面と,被差別部落の人々−−子どもや大人−−の自覚と自立,自らの解放のための教育機会という側面とがあるものと考えられる。

 わが国には,現在なお全国で6,000の被差別部落が存在し,300万人といわれる人々が結婚や就職,その他の社会生活において不当な差別を受けている。部落差別には,人々の観念や意識のうちに潜在し,言語や文字や行為を媒介として顕在化する心理的差別と,経済的・文化的な低位性など地区住民の生活実態に具現されている実態的差別という両面があるが,その双方の解決のためにも,教育の果たすべき役割はひじょうに大きい。

【同和教育の沿革】明治初期に成立したわが国の近代学校制度は,その当初より被差別部落の子どもたちに対する十分な配慮が払われておらず,すでに明治10年代には,学校に行けない子どもたちのために,部落のなかに私塾のような形の学校(部落学校)がつくられるようになった。しかし,部落の子どもの場合,いかに優秀であっても,その価値は正当に評価されず,就業の道もなく,学校でいかに勉強してもきびしい差別にさらされる点では不就学の者と同じであった。

 1897年(明治30)ごろからは,部落のなかに改良主義的な動きがおこり,民間の融和諸団体が結成されるようになって,部落の私設学校の公立学校への統合が進められたが,就学の条件は保障されていなかったので,長欠・不就学者の数はおびただしかった。

 1922年(大正11),全国水平社の結成に伴い,教育上の差別に対する糾弾闘争が展開されるようになった。また学校教育に対する不信から,自らの手で幼少年の指導を行う少年少女水平社がつくられて,各地で実践的な学習活動が進められた。このような部落の人々の運動に衝撃を受けた政府は,弾圧と懐柔の2面作戦で対応し,融和政策・融和教育を推進した。融和教育とは,部落の人々には自覚更生を,一般国民には同情を説いて,両者を皇国民として「融和」させようというものであった。そして,やがて日本が太平洋戦争に突入して行く過程で,大政翼賛会のもとに同和奉公会が組織され,融和教育は「同和教育」と呼ばれるようになった。この同和とは,「同胞一和」ということばからとったものとされている。

 第二次世界大戦後,憲法・教育基本法のもとにおいては,部落問題は自ずから解消し同和教育という特別な教育は不要であるとの考え方が広まったが,現実には部落の子どもの長欠・不就学の状況はいぜんとして深刻であり,また社会における差別事象もあとを絶たなかった。そこで,戦後いち早く,京都・和歌山・奈良・兵庫などの府県では,現場の教師たちによる同和教育の運動がおこり,やがて各地にひろがって,1953年(昭和28)には,関西地方を中心に,全国同和教育研究協議会全同教)が結成された。

 1965年(昭和40)になって,国の同和対策審議会答申が出され,これを受けて1969年(昭和44)に同和対策事業特別措置法が施行されるに及び,ようやく部落問題解決のための本格的な国の施策が行われるようになり,教育の面でも,全同教など民間の教育運動の高まりとあいまって,同和教育の充実と教育条件の整備が推進された。とくに,定員枠外の加配教員の制度の実現など,その意義は大きい。またそれまで校区に部落を含む学校にのみ偏りがちであった同和教育の実践が,これを契機に広く一般の小・中学校で取り上げられるようになり,さらに高等学校へ,そして西日本からしだいに東日本へとひろがっていっている。

【学校における同和教育】現時点での学校における同和教育の課題は,部落を初め底辺におかれた子どもたちの学力・進路の保障,集団づくり,そして広く部落問題を基礎にすえた人権学習,という内容に集約することができよう。

 今日,部落解放のための民間の運動と,それを受けての国や地方自治体の施策の結果として,かつての部落の長欠・不就学の問題はほとんど解消されたといってよい。また,その後の大きな教育上の課題であった部落の学校に集中的に現れた非行の問題,高等学校進学率の著しい低位性の問題なども,大きく解決の方向にむかっているといえる。しかしながら,現在なお残された課題として,部落の子どもたちの学力が一般の平均に比べて相対的に低いという事実がある。

 この学力不振の子どもたちの学力を保障するという場合,その対象となる学力は何かということが問題になる。そして,それは一方で子どもたちが社会に出て自立していけるための「基礎学力」であるとともに,自らの立場の自覚にもとづき,自らを解放するための「解放の学力」でなければならないとされる。また解放の学力と関連して,仲間(集団)づくりということも大きな課題とされている。クラスのなかに,学力不振の仲間,非行に走る仲間がいれば,それを集団の力で解決することをめざす。それは,教育が弱者・少数者の論理に立つという課題でもある。

 学力保障・集団づくりの課題とともに,進路保障の課題がある。今日の部落差別のなかでも,結婚差別とならんで就職差別は悪質な差別事象であり,現在なお深刻な状況にあるが,進路保障は,このような就職差別事件をきっかけとして,同和教育の取り組みのなかから生み出されたことばである。それは,子どものよりよい進路が保障されるよう,諸条件の整備の実現を追求し現状を変革していこうとするもので,学力保障や集団づくりと不離一体の関係にあり,同和教育の「総和」と位置づけられている。

【社会同和教育】同和教育は,学校のみならず社会教育の分野でも推進されるべきものである。そして,社会教育としての同和教育には,被差別部落の人々の自覚と自立のための学校外の組織的な教育活動という側面と,広く国民の部落問題を中心とした人権意識の啓発のための学習機会という側面とが考えられる。

 社会教育における同和教育は,学校教育に比して立ち遅れてきたといわれているが,部落解放運動が地域において自ら展開してきた社会教育事業として,識字学級や子ども会などの活動は特筆されなければならない。部落差別の結果,学校教育から排除され,文字を奪われた人々は,戦前のみならず戦後においても存在しつづけた。これらの人々が,それゆえの不安定で不自由な生活を部落差別によるものであると自覚し,自ら文字を奪いかえす活動として取りくんだのが識字学級である。また戦前の少年少女水平社(のちに全水ピオネール)の伝統を受け,戦後も長欠・不就学が深刻な状況にあるなかで,遊び・スポーツ・文化芸術活動など子ども本来の要求を基礎に,子どもたちの自主性・自律性を尊重しつつ,解放の自覚を育て差別と闘う組織として結成されたのが部落子ども会である。

 なお,部落問題に対する正しい理解と認識を形成するための学習は,これまで教育委員会の事業として,公民館や社会教育関係団体を通じ,学級・講座・講演会の開催,文書・資料の配布,地域懇談会の実施などの機会が設けられてきた。また,労働行政の一環として,企業における啓発活動も進められてきた。しかし,1984年(昭和59)に,国の地域改善対策協議会は,「今後における啓発活動のあり方について」と題する意見具申を行い,行政の枠をこえた啓発活動の促進を提唱している。

〔参考文献〕盛田嘉徳『解放教育への道程』1974,明治図書

元木健・村越末男編『同和教育論ノート』1980,解放出版社

山本登『同和行政と市民啓発』1983,明石書店