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●東林党 とうりんとう

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国,明末の政治的党派。顧憲成・顧允成・高攀龍・鄒元標・趙南星らの一派をいう。神宗以後,宦官が権力をほしいままにして,正義派官僚グループが政界から追放された。このため,彼らは1604年(万暦32),宋の楊亀山の建てた東林書院を復興して学を講じた。以後,講学において時務を論じ,国政を議して,政治的論議を深め,在野的政治活動を展開し,税監の撤退,鉱税・商税・臨時付加税の廃止,商役・解役制度の改革などを政府に要求した。万暦末から天啓初年にかけて,挺撃・紅丸・移宮のいわゆる三案が発生すると,東林党は宦官一派の政治的陰謀としてこれを徹底的に暴露して論難し,東林党と非東林党の間に大論争が展開された。しかし,1625,26年(天啓5,6)の魏忠賢一派の弾圧により,楊漣をはじめ東林党の指導的人物の多くは逮捕されて獄死し,東林書院は閉鎖され,さらに党人の姓名罪状を海内に榜示する東林党人榜が公表されるなどして,東林党は一時壊滅状態におちいり,一応敗北したが,その運動は復社にうけつがれ,東林−非東林の党争は,崇テイ※注1※一代はもちろん,南明亡命政権にまで持ちこされた。

〔参考文献〕謝国テイ※注1※『明清之際党社運動考』1934

岡田武彦「東林党の精神」『東方学』6,1953

小野和子「東林派とその政治思想」『東方学報』京都28,1958

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