●トゥルイ ※注1※雷
アジア モンゴル国 AD1192 遼・西夏・金
1192〜1232 モンゴル帝国の武将。チンギス=ハンの第4子。1211年,金国征討に初めて参加して,山西省の宣徳府を攻略した。また,1219年に始まるチンギス=ハンの中央アジア遠征では,要衝ボハラのほかメルブ・ニシャプール・ヘラートなどを攻略する武勲をあげた。1227年にチンギス=ハンが死去すると,末子にあたるトゥルイが,監国としてモンゴル本土の国政を摂政し,1229年には第2代大汗を決定すべきクリルタイを開催し,オゴタイ(太宗)擁立を実現した。この際,トゥルイはモンゴルの慣習法によってモンゴル本土の相続権を継承すべきであったが,オゴタイにこれを譲渡して帝国の基礎をかためた。また,オゴタイ=ハンの金国征討にも従い,1230年には右翼の軍団を率いて,河南の西南端から金国の領土に進攻し,これを攻撃する金国の精鋭を釣州・三峯山に撃破した。しかし,1232年モンゴルへの帰途,病死した。なお,トゥルイからオゴタイへのモンゴル本土領有権の譲渡は,帝国の最初の分裂の危機を未然に防ぎえたが,トゥルイ家の一族には,やがて苦難の日々を余儀なくした。そして,これを萌芽としてトゥルイ家とオゴタイ家との確執が深まり,帝国の分裂的傾向が助長されていった。
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