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●東林書院 とうりんしょいん

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 中国,宋以後江蘇省無錫県にあった学校(書院)の名。一名を亀山書院ともいう。北宋の大儒,楊時(亀山)が建てて講学したところであるが,久しくしてハイイ※注1※していた。1604年(万暦32),顧憲成・顧允成・高攀龍らが復興し,そのなかで学を講じた。講堂を依庸堂といい,その講学は年に一大会,月に一小会,会はそれぞれ三日間開かれた。その儀註は,ことごとく白鹿洞規を参照し,天下の学の中心となった。名声を慕って集まるものが多く,これを東林学派といい,東林党といっている。その講学は,朱子学的立場から陽明学末流の空疎な主観唯心主義を批判するもので,救世救国の実践的意欲に強く,官僚批判・政策論議などを活発に行い,現実の政治に強い影響力をもった。このため魏忠賢一派に憎悪・弾圧され,1625年(天啓5)強制閉鎖され,ほとんど壊滅した。そのあと,党内の若い人たちによって古学復興を標榜する応社が作られ,それがさらに1629年(崇禎2)には全国的な組織である復社へと発展していった。

〔参考文献〕許献等増輯『東林書院志』

盛朗西『中国書院制度』1934

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