●東洋学 とうようがく
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東洋の実態を研究しようとする学問の総称で,英語では Oriental Study,ドイツ語では Orientalistik,フランス語では etude orientale に当たる。しかし東洋のすべての分野の研究を含むのではなく,歴史・宗教・哲学・言語・風俗・美術・音楽などが主要な対象となっている。古代西洋世界においては,東洋とはオリエント(古代東方)の地域をさすものであったが,地理的知識の拡大とともに,その範囲はしだいに拡大し,現在では東洋といえば,ほぼアジア全域をさすものと考えられている。したがって東洋学はアジアを対象とする学問であるともいうことができ,シナ学・インド学・モンゴル学・イラン学などはいずれもその一部をなすものであり,東洋史学もこのなかに含まれるものといってよい。【東洋学のおこり】モンゴル時代にアジアを訪れたプラノ=カルピニやマルコ=ポーロの東洋旅行記は,ヨーロッパ人のアジアに対する関心を引き起こし,東洋学を誕生させる一つの契機となった。16世紀以降,アジアに来た宣教師は布教活動の一環として,その地域を中心とするアジア各地の実態を調査・報告したが,これは東洋学の形成につながるものであった。19世紀はじめ,フランスのレミュザ・ドイツのクラプロートは,これらの報告をもととし,新しい学問体系による研究を推進した。これが学問としての東洋学の成立となっていくのである。一方,ヨーロッパ各国の勢力がアジアに進出してくると,政治的・経済的勢力を拡大する上から,各地の実情を把握することも必要となり,それぞれの地域の科学的調査および研究が推進されることになった。この場合,各国が最も関心をもつ地域の研究を推進したことは当然であり,欧米資本主義勢力のアジア進出と,東洋学の発展とは対応していたといえる。
【東洋学の発展】19世紀以降において東洋学は飛躍的な発展を示すこととなったので,以下に各国別に考察してみよう。
イギリスは英領インドの形成を背景としてインド研究を推進し,またアヘン戦争後,中国に進出してからは,中国研究も盛んであった。研究者として注目すべきは,ロンドン会などから派遣されたプロテスタント宣教師が研究を盛んに行ったことであり,なかでも『四書』を英訳したジェームズ=レッゲや『四庫全書総目提要』を英訳したワイリーの業績は有名である。また中央アジアに派遣されたスタインが調査研究に成果を挙げるとともに,敦煌文書研究の端緒を開いたことはとくに有名である。
フランスは,インドでイギリスに敗退してからインドシナ半島に進出し,ここを拠点として東洋学を発展させた。1900年ハノイに創立した極東学院はその中心であり,またペリオの中央アジア探険は多くの業績をあげた。
ロシアではモンゴル史の研究が早くから進んでいたが,中央アジア進出を背景として,東洋学はさらに発展することとなった。プルジェヴァリスキー・カズローフ等の調査・研究をはじめ,組織的な探険隊が派遣された。
ドイツのアジア進出は,山東半島のみを根拠地とし他のヨーロッパ諸国に比べてはるかに遅れたが,東洋学の研究は各部門にわたって活発に展開した。なかでも中国の地理学的研究に貢献したリヒトホーフェンの業績はとくに有名である。
アメリカもドイツと同じくアジア進出の時期は遅れたが,アメリカ博物館自然科学部の大規模な探険隊の派遣や,資料・出土品の蒐集,研究員の養成などに積極的に努力した結果,東洋学の研究に高い水準を示すにいたった。
日本の東洋学は19世紀末までは,中国を中心とするものであったが,20世紀に入ってからは,周辺地域におよんでいる。とくに第二次世界大戦後は,北アジア・南アジア・西アジアの研究にも多くの学者が輩出し,すぐれた研究が発表されている。
〔参考文献〕青木富太郎『東洋学の成立とその発展』1940,蛍雪書院
石浜純太郎『東洋学の話』1943,創元社