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●東北 とうほく

アジア 日本 AD 

 本州の北東部を占める,旧陸奥・出羽両国に当たる地区の称。近・現代の福島・宮城・山形・秋田・岩手・青森6県地方の総称である。奥羽地方とも呼ばれるが,脊梁山脈をなす奥羽山脈が中央に走り,総面積は6万6,900平方kmで日本の国土の18%弱を占めるが,人口は1983年(昭和58)3月31日現在971万2,818人で,8.2%強にすぎない。開発の遅れた東北の遅進を象徴するごとくで,東北という語が,中国東北部・タイ東北部などと通じたものを感じさせる。北は津軽海峡を隔てて北海道に対し,南は関東地方に,南西は中部地方と接し,東は太平洋に,西は日本海に面している。

【自然的条件】奥羽山脈を境にして東側には,北から奥入瀬川・馬渕川・北上川阿武隈川沿いに,三本木原・北上盆地・仙台平野・福島盆地・郡山盆地・会津盆地が開け,陸奥湾を抱く下北半島恐山山地・北上山地・阿武隈山地がそれぞれ山地を形成している。北方に小川原湖,南には猪苗代湖があり,脊梁山脈中には北方に十和田湖,つづいて田沢湖がありともに水深を誇っている。下北半島の大間崎・尻尾崎や,三陸海岸牡鹿半島までのリアス式海岸は,仙台湾とともに太平洋に面した海岸線を変化あるものにしており,沖を日本海流黒潮が北上し,千島海流親潮が南下している。この暖・寒流は漁場を豊かにしているが,しばしば寒流は「やませ」と呼ばれる東風によって,この地方の水稲を凶作に導く。北上山地には遠別山・遠島山・姫神山・害鷹森・早池峰山・五葉山などが,阿武隈山地には霊山・日山・大滝根山などがある。西側には,北から岩木川・米代川・雄物川・子吉川・最上川ぞいに,津軽平野・大館花輪盆地・能代平野・秋田平野・本荘平野・横手盆地・庄内平野・新庄盆地・山形盆地・米沢盆地が開け,白神山地・出羽山地・朝日山地・飯豊山地・越後山脈北部が鳥海火山帯を伴っている。男鹿半島基部には日本第二位を誇った八郎潟が干拓残存湖をとどめ,北海道と海底トンネルで通ずる津軽半島竜飛崎から小泊岬・艫作崎・男鹿半島・飛島が西部海岸線を形成し,沖を対馬海流が暖気を伴って北上し,そこにリマン海流が南下してくる。暖流は秋田・庄内地方の稲作を豊かにするが,日本海からの冬季北西季節風は大雪をもたらして,白神山地の岩木山・田代岳,出羽山地の森吉山・太平山・鳥海山・丁岳,朝日山地の月山・湯殿山・葉山・朝日岳,飯豊山地の飯豊山・大日岳・三国岳,また東北南西端の燧岳麓にことに深い。中央奥羽山脈那須火山帯を伴い,八甲田山・岩手山・駒ケ岳・焼石岳・栗駒岳・船形山・蔵王山・吾妻山・安達太良山・磐梯山などの高峰が聳えている。

【歴史的・社会的条件】原始時代には縄文文化の充実した落葉広葉樹林帯に属したが,弥生文化の北進後遅進地帯扱いされ,蝦夷の地とされた。5世紀には宮城・山形の中部まで,8世紀には秋田の中部・岩手の南部まで律令国家体制下に入り,12世紀末源頼朝の奥入りによって坂東武家団の支配する中世を迎えた。南北朝には両派入り乱れていたが,戦国期まで争乱は消長しながらつづいた。太閤検地・江戸幕府支配と,奥羽の全国斉一化は進み,明治戊辰の役ののち,1868年(明治1)12月太政官は磐城岩代・陸前・陸中・陸奥・羽前羽後7国に地域区分し,やがて廃藩置県を迎え,最終的に現在の6県体制となる。本来第一次産業が盛んな地帯であったが,気象条件などから1934年(昭和9)のような凶作も多く,第二次世界大戦後の三早栽培などで迎えた米作増強期も,国の稲作制限政策で頓挫し,悩みを大潟村モデル農村に象徴的にみる。といっても第二次・第三次の産業が発達するには交通手段や冬期積雪問題が枷となり,若年労働人口はひたすら首都圏などに流出して,地域によって凸凹はあるものの,総体としては過疎化を阻みえない町村が多い。いきおい,企業誘致を試みるが成否相半ばし,また大資本の進出は地元企業に対し功罪相半ばする結果になる。土地広く東北新幹線東北自動車道の開通は観光開発を思わせるが,それも東側に偏り,将来これが北海道に通ずれば,東北は通過域になる可能性も強い。往年の鉱業も火は消え,関東地方に隣接しながらも,東北地方がなおフロンティアとしての希望があるという見方は,楽観的すぎるといえよう。