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●討幕の密勅 とうばくのみっちょく

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 1867年(慶応3)10月13〜14日,薩・長両藩に下された徳川慶喜追討の勅書をさす。日付は島津久光あては13日付,毛利敬親父子あては14日となっており,その形式はまったく異例で,天皇の直筆でもなく,勅旨伝宣の奏者として連名している中山忠親・正親町三条実愛(嵯峨実愛)・中御門紹之の花押もないので,まったくの偽勅説さえある。これはおそらく,慶応3年3月以来入洛を許された岩倉具視が大久保利通・中山忠能らといろいろと画策して正親町三条実愛より,大久保利通・広沢真臣に手交したものである。したがってかなり陰謀くさいものである。嵯峨実愛は多年勅栽案のとりもちをし,上書建言を受付けるなど朝議に参画している。これによって討幕の勢力は結集され,同年12月9日岩倉の勅勘が解除されるや復飾・参内して王政復古の大号令を出させている。討幕の密勅は大政奉還と同日であるということ,そして朝廷がそれを受け入れたのが15日付であるが,しかしその実その経緯の真相は,明白を欠く,維新政治史上の謎の一つである。