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●同治帝 どうちてい

AD1856 

 1856〜75(在位1861〜75)中国清朝第10代皇帝。穆宗(ぽくそう)。名は載淳。咸豊帝の唯一の男子で,母は西太后。1861年,熱河に蒙塵した咸豊帝が病死すると賛襄政務大臣となった怡親王派が政権を掌握した。しかし咸豊帝の柩が帰京した直後に西太后恭親王派が結んでクーデターをおこして怡親王派を一掃し,その結果恭親王派は議政王となって政局にあたり,西太后と東太后による垂簾政治が開始された。この直後に即位した同治帝は,ときに6歳であった。帝の時代は洋務運動の第1段階にあたり,江南制造総局に象徴される西洋の軍事技術の導入が開始された。また総理衙門・同文館の設置など対外交渉における協調・円滑化がはかられ,さらに漢人を重用することによって太平天国・捻軍・回族の反乱を鎮圧し,伝統体制の維持につとめた点から「同治中興」とも称される。同治帝は1873年から親政を開始したものの名目にすぎず,実権は西太后が掌握し,政治にかかわることなく19歳で早世した。