●同族 どうぞく
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日本にみられる家を単位として系譜関係をもつ本家と分家が構成する出自集団。同族は血縁関係をもつ本家と分家,さらに分家の分家である“孫分家”を基本として,これ以外にも,非血縁の“奉公人分家”がみられることもある。“同族”あるいは“同族団”は研究上の学術用語であり,民間においては,マキ・イットウ・ヂルイ・カブ・イッケ・ウチワなどと呼ばれている。その規模・内部構造・機能には,地域的・歴史的に多様な形態がみられる。しかし,いずれにおいても“同族”であるためには,本家・分家間の系譜関係にもとづいて,同族内で家ごとに上下的位置関係と一定の役割が付与され,集合体として何らかの機能をもつことが必要である。【同族研究の概要】同族は日本社会の理解に不可欠な重要な問題であり,1930年代より有賀喜左衛門・喜多野清一・及川宏らによって,その研究は活発に行われ,戦後その理論的整理が行われるとともに,多くの同族研究が継続されてきた。しかし同族に対する理解は現在に至っても多様であり,同族を親族集団とするか否かについても未だ一致をみない。有賀喜左衛門は,同族の結合の本質を本分家間の主従関係とし,これを日本の社会関係における民族的特質と考えた。また同族は生活の連関を保つことが重要であり,小作関係をはじめとして,生活上広範にわたって本分家間の主従的関係が機能していくとした。有賀は奉公人分家は,主従関係が同族の結合原理である故に,非血縁でありながら同族のなかに組み込まれていると考えた。また彼は同族を親族集団とは区別し,地域的に限定された生活上の協同を行う集団であるとしている。喜多野清一は,同族の本質を,有賀のいうような身分関係や主従関係ではなく,“系譜関係”であるとして,同族を〈本家の家権威を中心として,こうした系譜関係に連繋されている家の連合体〉と規定している。喜多野は同族内の生活慣行に付与される“上下関係”を“系譜関係”の本源としての本家のもつ伝統的権威にもとづいて生まれるものを基本とすると考えた。奉公人分家についても,それは,本家と“家の系譜関係”を締結することによって同族の構成単位になると理解した。及川宏は,同族は〈相互に共通する出自を有するという意識下に,複数の家族間に成立せしめられる親和的関係〉であり,その出自は父方の血縁を単系的にたどるものを基本とするとして,同族を“親族集団”としてとらえている。また及川は奉公人を“準家族”とし,その奉公人の分家を同族の“準構成戸”として考えた。以上の3者の異なる理論は,それぞれ後の研究に引き継がれていき,現在においても同族の解釈は多様である。また同族は日本の村落社会を考察する上で無視できない重要な問題点であり,同族と村落をめぐる多くの論議がなされてきた。同族内での家格が,村内でのその家の社会的地位を決定するような“同族村落”は日本の一つの代表的村落形態である。この同族村落の位置づけには大別して二通りの理解がある。一つの理解は同族村落こそが日本の伝統的村落の根源的性格を具現したものであり,同族村落以外の村落社会を同族村落が社会的・経済的要因によって変換したものであるとする。ほかの理解は同族村落を日本の村落社会の典型の一種としてのみとらえ,普通的な特質をもつものでないとする。こうした理解は,戦後の村落構造論の論争のなかで論じられてきたが,現在においても多くの問題を残したままである。
【同族の構造と機能】東北においては同族の存在が顕著であり,同族はマキと呼ばれることが多い。なかには40戸にも及ぶ同族が本家を中心として強い自律性をもって存在する例もあり,同族の深い世代深度・本家の優越・一家格差が特徴である。西日本ではイットウ・ヂルイ・カブなどと呼ばれることがしばしばあるが,構成戸も少なく,2,3戸のこともあり,本家の優越が顕著でないことが多い。同族の機能をみると,戦前の東日本の同族には,有賀の報告にみられるような本分家間に小作関係と強い生活共同・協助関係をもつ例もあったが,こうした機能は戦後の農地改革によって消滅しており,本分家の経済的補助関係は以前と比べて希薄となっている。総じて本家の分家に対する生活全般にわたる優越的地位は弱体化している。同族のほかの機能としては,同族神の祭祀・姓・家紋・墓所・寺の共同共有,年中行事や冠婚葬祭における交際・協力関係がみられ,これらは現在の同族の機能のなかにも見出すことができる。
〔参考文献〕赤田光男『同族とムラ組の特質』「村と村人」,日本民俗文化大系8,1984,小学館
山本質素『親類と同族』,福田アジオ・宮田登編『日本民俗学概論』1983,吉川弘文館