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●党争 とうそう

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国の党争は古くから存在するが,宋代では仁宝朝郭后を廃したことに端を発した慶暦の党議,英宗の生父の呼び名についておこった濮議なども有名である。しかし中国政治史で最も名高いのは王安石を首領とする新法党と,司馬光を首領とする旧法党の党争である。前者は破局を迎えた宋朝を再建する意欲に燃えた革新的党であり,後者は旧体墨守を貰こうとする党である。結局は新旧両党の権力党争であった。この党争は王安石・司馬光在世中はもちろん,両人の死後も後継者達によって引き継がれた。この有様は次の新帝が幼年期に旧法党系の太后が後見役となって旧法党官僚を起用し,新帝の親政期になると新法党系官僚を起用して旧法党を追放することに心を砕いた。このようにして国治分裂の状態が哲宝・徽宗朝を通じて40年間くらいつづき,金軍に滅ぼされた。

〔参考文献〕諸橋轍次『儒学の目的と宋儒の活動』1925,大修館

東一夫『王安石新法の研究』1970,風間書房