●東条英機 とうじょうひでき
アジア 日本 AD1884 明治時代
1884〜1948(明治17〜昭和23)昭和前期の軍人、陸軍大将。陸軍中尉東条英教(のち陸軍中将)の子として東京に生まれる。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。ドイツ駐在武官、陸軍省動員課長、歩兵第一連隊長、関東軍参謀長などを歴任し、1938年(昭和13)板垣征四郎陸相のもとで陸軍次官をつとめた。統制派の系統につらなり、厳格な部内の統制と優れた事務能力に定評があった。その後、航空総監兼航空本部長を経て、1940年第2次近衛内閣に陸軍大臣として入閣、翌年、日米交渉に際して、陸軍の強硬論を背景に、中国からの撤兵に強く反対して近衛首相と対立し、内閣総辞職の原因をつくった。1941年10月、近衛内閣退陣の後を受けて内閣を組織。陸相・内相を兼任するとともに、天皇の意を体して対米英開戦方針の再検討をはかったが、日米交渉は妥結にいたらず、1941年12月対米英に開戦した。翌年翼賛選挙により国内体制を強化したが、戦争指導にあたって国務と統帥の分裂に苦しみ、1944年にはその統一を意図して参謀総長をも兼任した。しかし、戦局の悪化とともに重臣や海軍の間に反東条気運が高まり、同年7月退陣に追い込まれた。敗戦後自殺をはかったが未遂に終わり、A級戦犯として1948年、極東国際軍事裁判で絞首刑を宣告され、刑死した。