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●同志社 どうししゃ

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【沿革】学校法人同志社は,新島襄(1843〜1890)が,アメリカン=ボード(1810年6月設立)から派遣された宣教師デビス,J(1838〜1910)と京都府顧問山本覚馬(1826〜1892)の献身的な協力を得て,1875年(明治8)11月29日に京都に創立した。同志社という名称は,山本覚馬が同志の固き結社,一つの目的をもつ者の集団という意味で名づけたものとされている。創立時の場所は,京都市上京区寺町通丸太町上ル松陰町18番地,高松保美邸(現在の京都府立鴨泝高等学校の南側)であった。新島襄は,1864年(元治1)脱国し,アメリカに渡り10年7カ月滞在後,1874年アメリカン=ボードの海外伝道員として帰国した。彼は,アメリカにおいてキリスト教徒の洗礼を受け(1866年12月30日,アンドバー神学校付属教会で)ていた。のちに新島のすすめで,山本覚馬も受洗した。同志社の創立に当たっては,あらゆる方面からのさまざまな困難があったが,彼らの厚い信仰による神の恩寵があったといえる。新島襄と山本覚馬両名の結社によって,生徒数8名のみの一種の私塾「官許同志社英学校」が開校されたが,1876年には,相国寺門前前町すなわち現在の校地(京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町601番地)に移った。この土地は,約5,800坪あって幕末に薩摩落屋敷のあった所で,山本覚馬の所有地であったものを,新島襄すなわち同志社が譲り受けたのである。以来,109年間,同志社はこの地を中心として発展してきた。1984年(昭和59)現在,同志社大学(大学院生441名,大学生1万9,593名),同志社女子大学をはじめ四つの高等学校,三つの中学校,幼稚園,計10校,園児・生徒,学生数2万8,882名,全教員数761名,職員数539名よりなる学園となっている。

【同志社の精神】官許同志社英学校より出発した同志社は,立学の精神を実践するために幾多の苦難に遭遇する歴史を経てきた。しかし,常にその発展の原動力となったのは,立学の精神そのものであり,同志社統合の論理となっている。その精神は,常に愛国心とキリスト教の信仰を堅持し,良心の全身に充満した人物を育成するという,新島襄の教育理念に示されている。同志社の特徴は,愛国的精神とキリスト教主義を教育の根幹に置き,偏知・実利主義をいましめ,自治・自由を尊重して博愛と謙譲の人物を養成することを重視するところにあった。以上の精神は,同志社精神あるいは新島スピリットとして今日まで継承されてきており,同志社の最も誇るべきものである。そして同志社人がひとしく持っている不変の信念でもあり,神の摂理のもとに実在する学園といえる。新島は,1890年1月23日,48歳で昇天した。彼の精神は,同志社教育の理念を基礎付け,独自の学風を形成して今日に至り,わが国の学術文化の発展や国際関係の親善の上に,幾多の有為な人物を輩出してきたのである。

【現況】同志社大学は,1912年2月,文部省より専門学校令による設立の認可を受け,1920年(大正9年)4月大学令による大学設置が認められた。現在は,神学部・文学部・法学部・経済学部・商学部・工学部の6学部と第2部の文学部・法学部・経済学部・商学部の4学部と,その上に各研究科をもつ大学院と,人文科学研究所・アメリカ研究所・理工学研究所がある。校地内に,わが国に現在するプロテスタント派の煉瓦造りの礼拝堂としては最も古い礼拝堂(1886年6月建立)や,京都市内最古の煉瓦造りの彰栄館(1884年9月建立),有終館(1885年定礎),ハリス理化学館(1890年7月上棟),クラーク記念館(1894年献堂)等,国の重要文化財に指定された建物が保存されていることは全国的にも例を見ない。また,これらの建物の存在価値は,そのことを通して同志社精神の継承を象徴するものとしての歴史的意味の大きさにある。現在,全同志社学園挙げての一大事業として,教育・研究の質的向上と充実,学園の使命完遂と国際的交流の重視などをめざして,京都市より南へ約18kmの地(京都府綴喜郡田辺町,97万平方m,約29万坪)に同志社大学同志社女子大学の規模の拡大に伴って一部移転・施設増設が計画され,実施されつつある。

〔参考文献〕同志社編『同志社百年史』(全4巻:資科編2巻・通史編2巻)1979,同志社

同志社新島襄全集編集委員会編『新島襄全集』(全10巻刊行予定:第1巻・第5巻刊行)1981〜,同志社