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●党錮の禁 とうこのきん

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国の後漢末期,宦官政権を批判する勢力が党人として投獄あるいは官職追放・仕官禁止に処された事件。2回あった。和帝以後,後漢王朝の実権が外戚,宦官の手におちると,朝廷は彼らの利権の場と化し,郷挙里選は彼らの取引に悪用された。これに対して気節の士や太学生たちを中心とする批判的世論の輪は全国的に広がっていった。第1回 宦官たちは,李膺(りよう)らが太学生たちと党を組んで政治を批評し風俗を乱すと称して,200余人を投獄した(166)。しかし不正の露見を恐れた宦官は,党人を帰郷させ終身禁錮−−官職追放・仕官禁止に処した。第2回 党人らと通じた竇武(とうぶ)や陳蕃が要職につくと宦官誅滅を計画した。宦官はこれを探知してこの二人を殺し,その翌年(169)党人に対して徹底した弾圧を開始し,李膺以下100人以上が死刑に処せられ,党人数百人を禁錮に処し,禁錮は176年にはその一族郎党にまで拡大され,184年の黄巾の乱の勃発まで続いた。