●道具 どうぐ
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人はその生活を支えるために五感や手足を活用するだけではなく,それを補い,より有効にするために,木や草や石や獣骨などさまざまのものを自然のなかから採集して,目的に合わせて使用するようになった。それが道具の始まりであったと考えられる。その次の過程で,これらの採集物をより実用的なものにするために,意図的な加工が加えられるようになってくる。元は単なる枝木であったものが,細かく選択的に採集されるようになり,細いもの,太いもの,硬いもの,粘りのあるもの,重いもの,軽いものと使い分けられ,もつところを削り,先を尖らせ,あるいは平らに磨き,さまざまの違った役割をもつものに分化していく。すなわち,自然のなかから手に入れられる物をそのまま利用する段階から,意図的に加工を加える方法を習得して,それぞれの目的に適した形態をつくり上げていく段階に至るのである。次には,単一材料の利用から,異なった二つ以上の材料の合成的な利用法を身に付けることになる。棒の先端には獣骨や石がつけられ,もつところには繊維状のものが巻きつけられるなど,各部位の機能的な役割が意識されて,それぞれに最も適した素材を選択した上で,それらを相互に結合して用いるようになる。こうして,私達が今日,日常的に用いている道具の基本的な構造が成立したのだと考えられる。道具はその後に,加工技術の進歩や新しい結合方法の発明,さらには、自然的素材の利用だけではなく,火を用いて,新しい性質をもった素材がつくり出されるようになるに及んで,より洗練されてくる。その結果,これを用いて暮らしをたてる人々の生産力は徐々に高まっていき,そこから生活そのものをも,それを取りまく自然環境をも大きく変えていくことになったのである。その意味で,道具を手にした人々は道具とともに文化をつくり出していったのだといえる。それでは,人が暮らしに役立てる目的でつくった物をすべて道具と考えてよいのかというと,そういうことではない。信仰の対象となる具像や依代などは道具とは考えないのが普通で,また,衣服や装身具のような身に付けるもの,椅子や机のような家具調度,施設と考えられているものも,通常は道具のなかに含むことはしない。なぜならば,道具ということばには,人が対象物にむかって,積極的・能動的に働きかけるときに用いる物であるという気持が,無意識のうちに入っているからである。すなわち,衣服や装身具,机や椅子,あるいは敷物や寝具のように,受動的・保護的なものは含まれないことになるのである。そこで,容器や収納具のようなものの場合にはどうなるのかというと,これらの物は運搬に用いたり,食物の煮炊きに使用したりする,積極的・能動的な役割が強い時には道具とみなされうるが,その逆に,単に保存や収納のためだけに使用している場合には,道具としての用い方ではないということになるであろう。道具的な例としては,スプーンや杓子,通い箱や岡持などを想起すればよく,後者の場合には米櫃や水桶のような例を考えておけばよい。
【道の思想と道具】“道具”ということばは,弁慶の七つ道具という言い方からも理解できるように,本来は,限られた目的に対応するひとまとまりの物の群を表す集合名詞として用いられた。すなわち,“道(みち)”を達成するための“具(もの)”であって,その“道”とは,より具体的には武道であり,仏道であり,茶道であった。前に,道具という表現は能動的なものに対して用いられるといった背景には,この“道”の達成という考え方が今日まで生きながらえていると考えたからである。日本人はさまざまの“道”をつくってきた。そして,一つの“道”を究め,歩き続ける者達を,“職人”や“芸能者”といって特別視してきたのである。中世には,これらの人々は〈道々の細工人〉などとも称されたから,“道”を達成する者としての職人達は,また同時に“道”を往来する人々でもあった。そういう人々が,自らの職分を達成するために必要不可欠なものが道具であったから,武道具・茶道具・鍛冶道具・大工道具などのさまざまのセットが生まれてきた。近世には,農具さえも“農道具(野良道具・庭道具などとも称された)”ということがあり,農業も農道と考える風があった。こうした流れが続いた結果,近年では,“台所道具”というような表現も用いられるようになり,用具と道具の区別が明確にはつきにくくなっている。“道”の思想と“道具”とがこのようにつながっているのは,人と道具のかかわり方に由来している。道具は,その使用者と対象物とのあいだに行き来する意志や力の仲立ちをしているが,その関係を使用者の側からみると,直接に自らの身体の一部(主として手)と接続され,自らの身体が保有する能力を拡大し延長するものであると認識される。言い換えると,道具を手にもったときに,人は自らが強化され,拡大されているのを実感をもって知ることができ,それゆえに特殊の職を行う者たりえる。近世以来,職の習得は,親方のもとに弟子入りして修業し,年季が明けると一人前になる年季奉公によるのが一般的で,それが伝承的な“道”の教育体系であった。そこでは,年季が明けると親方が職人として必要欠くべからざる道具一式を,弟子に与える習慣が広く行われていた。それは,弟子が一人前の職人としての能力をもったことを認め,それを祝う祝儀であった。しかし同時に,道具を与えることで,一人前の職人になったことを認める,という考えは,逆にいえば,道具を所有しないものは職人と考えることはできないということ,職人でないものは道具をもつことは許されなかったのだということの,二つの側面をも表しているのである。年季明けに親方が与える道具は文字通りの一式であって,それさえ保有していれば十分に生業を支えうるものであった。大工であれば,玄能・鑿・鉋・鋸・炭壺などであり,鍛冶屋であれば,大鎚・小鎚金敷・鞴となる。だから,仲間の取り決めを破ったり,不名誉の事をおこした職人は,道具を取り上げられることで制裁された。それはただちに職業の停止を意味していたのである。したがって,道具を質入れするということは,当面の職人としての諸権利を譲り渡すことを示すことになる。このように,職人は強く道具に結びつき,道具によって自らの力量を発起でき,道具に依存してのみ職を成し遂げえたのである。
道具の使用者は道具を自己の一部として身体に取り込むことで,通常の人間のもちえない特殊な能力を発揮できるのであって,道具がなければ無力なただの人にかえらざるを得ない。このことは,使用者はつねに道具を通して自己の特殊な能力(職能)を確認し続けていることを意味しており,そこから,道具と使用者のあいだには,単なる実用の側面から考えられる範囲をこえた,特別な心理や観念を生む余地が生じてくる。道具は自己の一部であり,自己を投影し,自己を表現するものでもあるが,また同時に,外界に存在する大きな霊力を自己に注入してくれる媒介物でもあると観念されるのである。道具は単なる“もの”であるにとどまらず,意志と力をもった生命の宿るものと考えられ,ときにはその力に頼り,ときにはその力を恐れなければならなかった。
【道具の霊力】道具を用いて生きる人々には,だれであれ,道具を投げたり跨いだりしたら罰が当たるといって,こうした不敬の行為を強く禁じてきた。それは,道具を財と考えて,毀したりきずつけたりすることを懸念してのことではなく,道具を貶めることから,その怒りをかうことを恐れたのだと考えられる。道具も生命をもつものである以上は,機嫌がよいときもあり,不機嫌なときもある。そして,ときには気が枯れてくることも起こるのである。農山村の年越し行事のなかには,道具の年取りという儀礼がある。山道具や鍬鎌を,きれいに手入れして並べて,お神酒をかけて1年の苦労に感謝し,かつ翌年の活躍を願うということなのである。鍬鎌は春から秋まで用いられて,冬場は休養するものであった。そのあいだに十分に英気を養い,翌春からの活躍にそなえるべきだと考えられたから,道具もまた人とともに歳を取ることになったのである。鉄物の場合,気の枯れた道具はこの時期に鍛冶屋に持ち込まれた。鉄物にとって,鍛治屋は祈祷師であり,医師であるばかりでなく,生みの親でもあった。気の枯れた道具は,鍛冶屋の火床と金敷の上で取り行われる秘技によって,再び生命をそそぎ込まれて霊を宿すものに生まれかわったのである。すなわち,鉄の道具は,その内部に,火と風と水の霊力を受け入れて生まれかわりよみがえってくるのである。山に分け入り,木を伐る者や猟をする者にとって,山は,巨大で神秘に豊み,霊力にあふれた恐ろしいところであったと考えられる。山に暮らす人々といえども,自由奔騰に山に分け入ったわけではなかった。山の霊力を山の神として祀り,ときには自らの祖霊と一体化して崇めもした。彼らは山の霊を崇めたが,また恐れもしたのである。だから,山入りに際しては,必ず山の神に祈り,捧げ物をし,また許しを得なければならなかった。しかしそれでも,山の霊力を一身に集めた巨木を伐り倒すには,人間の力はあまりにも弱く,頼りなかったといえる。そういう弱い存在である人を助けることができるのは,特別な偉力を内に秘めた,斧や山刀のような,強い霊力をもつ道具たちであった。斧の両側面には,それぞれ3本と4本の筋目が鑿で刻みつけられていて,一般には単に魔除けの印といわれているが,より具体的には,電雷の閃光を表しているのだと考えられる。それは,鍛冶屋の秘技によって火玉となって地上に現れ,火床と鎚とによって道具のなかに宿り込められた,雷神の偉力を象徴するものとして刻み込まれているのである。たとえどんな霊力に富んだ巨木であっても,雷の電撃にはひとたまりもないことを山に暮らす人々は日常の経験から十二分に承知していたのだといえる。
斧は,刃物として木を刈るに役立つという実際的な面ばかりではなく,山の霊をもしずめえる偉力を保持している,そういう意志と力とをもった生命ある道具であったから,ゆえに杣人の象徴として,広く世間からも認められたのである。以上のことをここで整理して言い換えると,道具は,一方では実用のものであったが,もう一方では,それ自身がそれぞれに固有の霊力を宿しているものであるといえる。人々はその霊力を味方にすることによって,その職を成り立たせることができたのであって,別の表現をとるならば,人が道具を用いるのではなく,道具が人に職を与えているのだとみることもできる。以上のように,道具に宿っている霊の力は多くは職と強く結びついているが,その霊力がときにはまったく無関係な方面に有効性をもつことになった例も少なくなかった。臼や箕や小刀や鎌や横槌のようなさまざまのものが儀礼のなかで独特の役割を果たし,また魔除けや厄除けに用いられ,呪いに利用されている。そして,こうした活用の場合に,道具のどのような呪的な力が利用されているのかが,もうあまり明らかではなくなっており,ただ習慣化して伝承されている場合も少なくないのである。
【道具とtool】英語で道具にほぼ見合うことばにはいくつかあるが,通常は tool があてられる。これに対して instrument(器具・楽器と訳すことが多い)や utensil(家庭用の道具・器具)はそれぞれに少しずつ差が含まれていて,それぞれ日本でいう道具と重なるところもある。今日,技術史的な考え方で“道具”と区分されるときには,tool の訳語として取り扱われているものと考えてよく,前に述べてきた“道のもの”としての道具とかなりの部分で重なりながら,重要なところでずれを示している。この場合の道具は,実は機械と対照されるものとして考えられているのである。それを簡単にいうと,機械に先行する段階の生産手段の典型的な形成として理解されていると定義することができる。先に,道具には,能動的・積極的な役割が与えられており,受動的・保護的なものは含まれないと述べたが,このことが tool としての道具の場合にはもっと強く意義づけられる。ここでは道具は人の筋力的限度のなかで自由に取り扱うことのできる大きさ,重量のものであって,人の肉体的限界を越えて外界の状態を物理的・空間的に変更する(たとえば,切る・割る・明ける・ならす・集めるなど)場合に有効なものをさす。だから,道具には必ず手でもつ部位が含まれており,多くの場合に,それは独立的なもの(把手・柄)として構成されている。そこから“手の延長”という考えが生ずる。
原始時代,柄のない道具を用いていたものが,いつからか柄をつける工夫が生まれて,その結果,道具の有用性は飛躍的に高まったものと考えられるが,こうして完成された形式は,対象物に作用する部位(刃物の刃先・鎚の頭・熊手の爪刃など)と,人の手に接合される把手と,この両者を連結し,かつ必要な距離をうる部分とが一体に(固定的に)結合したものである。道具と考えられている大半のものは,この形式的枠組みに包括されうるのである。
【機械と道具】使用者が柄をもつと,そのときに人と道具とは一体化して,そこに一つの機械的な構成体が形づくられる。一例として振りあげた鎚を想定してみると,鎚を持つ人と腕と鎚の柄とは接合されて一続きの棒をつくることになり,可動部(この場合は主として回転運動)が手首になる場合と,肘になる場合と,背になる場合との三種類の動きが生ずる。そして,鎚の頭は,可動部を中心とする半径の描く円周上を運動することになる。同じ重量の鎚を同じ力で振ったとすると,当然に柄の長さが長いほど打力は大きくなり,短いほど小さくなるから,必要に応じて回転部を選択することができ,柄長の変更によっても適応させることができる。このときに,鎚をもって振り上げた腕を支えているのは,その人の体と両足であって,それが大地にしっかりと乗って安定している必要がある。そうでなければ,十分に制御された,必要な大きさの力を鎚の頭に加えることができない。要するに,人の体と両足とは鎚と腕を支える柱の役割を果たしており,その一端についた回転可動部を介して鎚と腕とが運動する,そういう機械と考えることができるのである。ところでこのときに,作用の対象物(加工されるもの)の方も,なんらかの方法で固定される必要がある。働きかけてくる道具(この場合は鎚)を確実に受け止めてその力を無駄にしないために,多くの場合は,加工対象物をなんらかの方法で大地に接続し固定するのである(当然であるが,大地そのものを加工の対象としている場合には,この点は考慮に入れる必要はない)。それが,俎であり,鉋台であり,臼であり,工作台である。庖丁に加えられた力は切られる加工物をたどって俎に至り,それはさらに台地で受け止められる。こうして,庖丁と俎,鉋に鉋台,杵に臼,裁刀に裁台の組み合わせが成立することになる。多くの場合に道具と言い表しているのは,人と接合される前者の庖丁・鉋・杵・裁刀にあたるものであって,加工対象物と接合される俎・鉋台・臼・裁台の方は含まれないのが普通であるが,実際には,両者が一体となって一つの機械的関係を形成していることが,ここから明らかになる。なぜ俎や鉋台や臼や裁台が道具と考えられていないのかというと,“庖丁に俎”という組み合わせが生まれる以前から,庖丁のみが単独で用いられてきた時代があるからである。その時代には,加工の対象となるものの多くが大地そのものであり,大地にしっかりと接続されている立木のようなものであった。そうでない場合には,俎や鉋台や臼の役割を大地が直接に受けもつか,適当な石ころや木株などで間に合わせていたのだと考えられる。要するに,発達段階的に考えると,まず庖丁や鉋や杵や裁刀が生まれて,それに続いて,俎や鉋台や臼や裁台がつくられるようになってきたのだとみることができる。そこから,道具という言い方の限定性が生じることになるのである。
【車・ロクロ・滑車】上記のような,道具と人とを組み込んだ仕組みのなかで可動要素となるのは人の関節である。したがって,そこでは道具の側には可動要素が含まれないことが原則となっていることがわかる。とするならば,物の方に可動要素を含む場合には別のカテゴリーをつくらなければならないことになる。たとえば,ロクロや車輪や滑車や歯車のように回転軸によって接合された物は非常に古い時代から存在していたし,箱鞴のように平行移動をするものの利用も少なからずあった。これらの運動は今日一般に機械的といわれる。だから回転運動や平行移動は機械的要素とも名づけられていて,これらは道具的な世界から一歩踏み出したものと考えられている。そして,これらの集合体が,前出の仕組みのなかで人が担っていた運動部分を肩代わりすることになると,それが“機械”となるのである。もちろん,ロクロや車輪や滑車や水車等の利用は道具の発達の歴史からいえば最も新しい時代に登場してきたものであろう。それでも,古代社会ではすでに単独のものとしては広く用いられていたものであった。しかし,日本ではその応用が全面的には普及しなかったようにみえ,まして,それが道具と結合して,独自に機械を生み出した例はほとんどなかったと考えられる。その多くは渡来の製品としてすでに完成された様式をもつ物として普及し,用いられてきたのであった。こうして,これらの仲間には唐臼,唐箕等のような新来のものであることを示すことばがみられることになる。
【道具の多様化】車やロクロの応用が,独立した構造をもつ機械として体系的に発達しなかったことは,結果的に,道具に依存した職の体系を温存し,道具を中心にして組み立てられた生活形式をさらに発達させ,強化することになった。それがすでに述べてきた職人芸の文化や道の文化というべきものであったといってよい。
こうした道具の文化の特色は,道具と人の関係がつねに個人的関係として成り立っていた点で,そのために前述のように,職人はそれぞれに自分の道具を保有する必要があったし,道具を失うことは職を失うことになったのである。と同時に,この道具文化の発達は,汎用道具の使用から各種の専用道具のおびただしい使い分けへと転開していったところに特徴があるということができる。
桶屋は何十本もの少しずつ違ったセン(木削り刃物)をもっており,それを使い分けていたし,鍛冶屋も同じように何十本もの火鋏を用意していた。指物師は大小さまざまの台鉋のコレクションをもつことになり,彫り師は鑿を,錺職は鏨と,それぞれの職能に応じて道具の種類は異なっても,専用化と使い分けが極端にまで発達していったことにはかわらなかったのである。そして,それは一方で製品の多様化を促し,かつ細工の均質化をもたらすことになった。言い換えれば,一方では生産工程の分割化が進み,もう一方では単位工程の,単純化,均質化が生じることになる。多くの場合に,その全工程が一人の職人によって遂行されてきたところに,職人芸の文化,道具の文化の特色をみることができるのであるが,その一面で,それは道具発達の究極的な段階であるということもできる。だから,その次の段階を考えるならば家内分業化が発生せざるを得ないことになり,その結果,道具を生産手段とした職能の人格的統一は必然的に崩壊していくことになる。そのときに,具体的には“職人”から“職工”への移行がおこるのだということができるであろう。“道”が,実態から観念へと移行していくに伴い,道具もまた観念化していくのは当然のことである。それは,生産手段としての道具から,生活手段としての道具へと,本質的意味が移行してきたことを表している。“道”が生産生業から切り離されて,“生きがい”として認識されるようになったのと同様に,道具もまた美意識や趣味や生きがいのための物として,新しい役割を与えられるようになってきたのである。