●トゥキディデス
ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD
紀元前5世紀後半のギリシアの歴史家,『戦史』(ペロポンネソス戦争の歴史)の著者。その生涯について唯一信頼できる資料は『戦史』である。それによると,彼はアテナイ出身,父の名はオロロスであった。ペリクレスと対立した寡頭派の領袖キモンの母ヘゲシュピーレは,トラキア王オロロスの娘であった。トゥキディデスもまた父オロロスを通じてトラキア王族の血をひいているのかもしれない。彼はトラキア地方に鉱山を所有しているなど,特別深いかかわりを明言している。ペリクレスによって陶片追放にかけられた政治家トゥキディデスメレシアスの子は史家とは別人であるが,なんらかの姻戚関係は想定できる。トゥキディデスはアテナイで成長し,当時アテナイを席巻したソフィスト運動の洗礼を受けたと思われる。『戦史』の文体や挿入された対の演説の様式だけでなく,彼の歴史哲学の根底にある普遍的人間性や二元的権力に対する深い洞察は,明らかにソフィストの影響を感じさせる。伝承によれば,彼はヘロドトスが『歴史』を朗読するのを聞いて涙したといわれているが,若年のうちから古今の歴史書に通じていたことを暗示する逸話である。もしこのことが事実とすれば,アテナイに滞在したヘロドトスが前443年のトゥリオイ植民に参加するため南イタリアに去ったことから,トゥキディデスの生年を前460年ごろと推定できるかもしれない。戦争勃発時にすでに分別ある年齢に達していたと自ら述べている。また前424年には10人の将軍の1人に選ばれたので,確実に30歳を超えていた。開戦と同時に,彼はこの戦争が史上特筆すべき事件になると予測して執筆を始めた(もっともこの時期はメモの作成が主であったであろう)。前430年〜前427年にアテナイを襲ってペリクレスの生命を奪った疫病に彼自身も罹った。前424年,タソス島を基地とする北方艦隊の司令官として,プラシダスの攻囲するトラキアの要衝アンフィポリスの救出作戦を指揮したが失敗し,責任を問われてアテナイから追放された。爾来20年間にわたる亡命生活をトラキアで送った。このことは『戦史』執筆にきわめて好都合であった。彼は歴史研究上の客観性を強調しているが,亡命生活によってアテナイ側だけでなく,ペロポンネソス陣営の情報にも接することができたのである。彼は碑文などの1次資料を利用するとともに,伝聞資料は可能な限り自分で再調査して確認した。地理を確かめるため戦場を訪ねて,シチリアやピュロスなど各地への旅行も厭わなかった。ヘロドトスや先人の物語的歴史に対して,彼は叙述的歴史を目標とした。『戦史』は聞くものではなく読むものであり,最初から“後世の人にとって有用な記録”となるはずのものであった。それゆえ主題に関連のない逸話等は極力排除されたのである。彼の同時代人はアルキダモス戦争(前431〜前421年),シチリア遠征(前415〜前413年),イオニア戦争とデケレイア戦争(前413年〜前404年)を別個の戦争と考えた。ところが彼は,それらが前後27年間にわたる単一の戦争,いわゆる“ペロポンネソス戦争”を構成すると考えた。『戦史』8巻の主要な内容は次のごとくである。第1巻は,戦争勃発に至る時期を扱う。戦争が史上最大であることの証明として“考古記”を書き,戦争の真の原因はアテナイ権力の伸張とそれに対するスパルタの恐怖であって,ケルキュラ紛争やポテイダイア事件は口実にすぎないと考えて,ペルシア戦争以後の“五十年史”,開戦直前のアテナイとスパルタの情勢を記述する。第2〜5巻24節は,アルキダモス戦争の記述。有名なペリクレスの葬送演説・疫病の描写・ミュティレーネ論争・ケルキュラ内乱・ピュロスの戦い・アンフィポリス攻防戦が含まれる。第5巻の残りは,ニキアスの和約の説明,『メロス対話』を含む。第6〜7巻は,シチリア遠征を扱うが,僣主ヒッピアスの失脚に関する逸話の挿入は注目される。第8巻はアテナイの〈400人体制〉の興隆と没落を扱っている。彼は『戦史』の完成を予告したが,記述は前411年秋のころで突然中断している。前404年アテナイ降伏後,彼は赦されてアテナイに帰国したが,不慮の死を遂げたのではないかといわれるゆえんである。クセノフォンなど3人の歴史家が『戦史』の中断した箇所からギリシア史を書き継いだ。それゆえ,『戦史』は最初から現存の分量で出版され,前4世紀初めごろには,すでに有名になっていたのである。ポリュビオスの『歴史』やローマの史家サルスティウスの歴史叙述には明らかにトゥキディデスの影響がみられる。しかし彼らは,科学的歴史を芸術作品の高みにまで引き上げた彼の功績に到達しなかった。近代に入って彼はホッブズに大きな影響を与えた。19世紀にトゥキディデスが高く評価されるようになると同時に,『戦史』の執筆時期をめぐる論争がおこり,百数十年を経て未だ結着をみていない「トゥキディデス問題」。トゥキディデスの思想の変遷についても種々論じられてきているが,彼のアテナイに対する愛国心やペリクレスへの敬慕の念は終生変わることがなかったといってよいであろう。
![]()