50音順    検 索

●東学党 とうがくとう

アジア アジア AD 

 1860年崔済愚が創始した新興宗教東学の信徒。李朝末期の政治的紊乱に伴う社会的不安と緊張の情勢を背景として,崔済愚は済世救民の志を抱き,1860年に西学(キリスト教)と対立する民族固有の宗教を創始して東学と名づけ,従来の風習・思想と儒・仏・仙の教理を土台に〈人乃(すなわち)天〉〈天心乃人心〉の思想を展開した。“人乃天”の原理は人間の主体性を強調する地上天国の理念と万民平等の理想を表現するもので,その信仰の具体的方法は21の呪問〈至気今至,願為大降,侍天主造化定,永世不忘万事知〉を暗じ,剣舞を行い,“弓弓乙乙”という護符を燃して飲めば,貧困から解放され済病長生・永世無窮であるという迷信的なものである。崔済愚は1863年惑世誣民の罪で処刑され,崔時亨が2代教主になって教勢を拡大したが東学党の乱がおこり処刑され,東学天道教侍天教に分裂した。

〔参考文献〕申福龍『東学党研究』1973,探求堂

01