●道家 どうか
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諸子百家の一つ。戦国時代から漢初にかけて栄えた思想。道家は人知をしりぞけ,自然に従うべきことを主張して,人道主義の立場に立つ儒家や墨家と対立した。前漢初期には〈黄老〉思想として流行したが,武帝が儒教による思想の統一をはかったので,しだいに民間の学として発展するようになった。後漢の末になると,再び貴族・官僚のあいだに行われ,“玄学”として尊ばれ“清談”の思想の重要な要素となった。一方,民間においても神仙思想などと結び付いて盛んになり,やがてこれらが総合されて道教となった。道教は“老”“荘”を中核とはしているが,その後のさまざまな思想や民間信仰を取り入れて宗教化し,儒教と並んで中国の二大思想を形成することになる。道家の祖は老子とされる。老子に関する物語は,おそらくのちのさまざまな伝説が付加されて出来上がったものであろう。老子の著とされる『道徳経』(あるいは単に『老子』ともいう)2篇も,あるいは関尹(環渕)の著ではないかとの説もあり,成立事情が定かではない。しかし,その思想内容からすると,戦国中期ごろのものではないかといわれている。『道徳経』の説くところによると,老子は儒家のいう聖賢の道・仁義礼智の徳目を“有限”なるものとして否定し,“道”とは万物の根源(玄)であり,無限定の状態(混沌)であると考え,これを“自然”と呼んだ。この自然なる道は目的意志をもたない変化の原則であり,これをまた“天”の道としている。人はこの“道”に帰すべきである(静)と主張した老子は,人知(作為)を排して,自然の“無為・虚静”に居ることを尊んだ。したがって王者が〈“無為の政治”を行うならば,すべての事は自ら成就し,“虚静”なれば,万事の真相を知り得る(明)という。また百姓が“無知”“無欲”となれば,いわゆる“小国寡民”の自然状態に復帰し得る〉と論じた。これが〈帝力なんぞ我にあらんや〉といって鼓腹撃攘する世界であり,同時に専制的君主政治の是認へとつながる政治論争ともなるものであった。荘子(荘周)は老子の思想を一層発展させた戦国中期の道家とされる。宋国の隠者で,漆園の吏であったが,その存在は世に知られており,かつて楚が千金を以て招こうとしたが,世に出ることを嫌って終身仕えなかったという。その著に『荘子』(『南華真経』とも呼ぶ)内・外・雑の3篇があるが,荘子の思想は主に内篇によってみられる。荘子は〈天に蔽われて人を知らず〉といわれるほど,“天”を絶対的・神秘的なものと考え,この天を“自然”と称し,人間は自然の産物に過ぎないという。すなわち人間は天から賦与された本質(性)に従って生きるように運命づけられた,無力な存在であるという徹底した宿命論を展開した。この“天”の道というものは,自然の変化の道であり,不可知なものであるとし,その“道”がすべてであり(至大無外),すべては“無”であるという(絶対的無)。これに対し人間の知識や事物の認識は相対的なものに過ぎず,“無”の立場からすれば(静観),大小・美醜・是非・善悪はすべて同一なものと観ぜられる(斉同論)として,現実を無価値なものと考えた。ゆえに荘子は天与の本質に従うことによって,個人の超越的自由(遊)が実現されることができるものとし,社会から離脱し(坐忘),保真全性の生活をおくるべきことを説いた。老子が“道”を原初的自然とし,“無為”の治によって政治の革新を考えたのに対し,荘子は人と虚無的道との一体化を主張して,社会的存在としての人間を放棄したものといえる。老・荘によって築かれた道家思想は,漢初の“黄老思想”流行の中で,陰陽説や五行説をはじめとする,多くの思想を吸収して発展し,『惟南子』に見られるような,総合的な折衷学派が形成された。司馬遷はこれを〈是の術たるや,陰陽の大順に因り,儒墨の善を取り,名・法の要を撮って,時と与に遷移し,物に応じて変化し,俗を立て事を施すに宜しからざる所なし〉と論じている。