●燈火 とうか
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人類が最初に燈火としたのは炉の火であった。樹木や草の根をそのまま燃やして明かりとするうちに,いつのころか脂の多い松の根株などが,ことに明るく燃えるのを知って,これを燈火に専用に用いるようになった。中部・関東地方では,松脂の部分を“ヒデ”と呼び,石をくぼめた器や鉄製の皿の上でヒデを焚いた。この器のことを“ヒデ鉢”といっている。一方,動物や魚の油も古くから燈火に用いられていたが,臭みが激しいため,都市では早くより植物油を用いるようになっていたと思われる。イヌガヤ・麻などから油をとったが,中世にはエゴマをもっぱら燈油に用い,江戸時代に菜種の栽培が増加し,採油技術が進歩するに伴って庶民に広く油が普及するようになった。油は初め簡単な容器に入れて,そのまま燃やしたと思われるが,やがて燈芯を用いるようになり,燈火用の皿が一般化した。油の垂れを受けるため,皿を二枚重ねにするようにもなった。油皿を乗せる台を“燈台”という。なかでも,空気の作用で自動的に油の補給を調節する“鼠燈台”は,優れた発明品である。【行燈と蝋燭】行燈は,もとは携帯用の燈火具であったが,提燈の普及につれ,燈台の裸火よりも安全であったことから,室内用燈火具として広く用いられるようになった。行燈は,関西風の丸行燈と,江戸風の角行燈がある。いずれも,火袋を開閉して中に油皿を入れる。皿は二枚重ねであるが,さらに下の台の上に花鳥などの絵を描いた大型のあんどん皿を置き,摘る油を受けたり,油徳利などを置いた。丸行燈は俗に「遠州行燈」とも呼ばれ,その円筒の半分が自由に回転するものや,火袋がなつめ形・まくわ形など,機能的で優雅なつくりがみられる。角行燈は,2脚あるいは4脚で簡素なものが多い。また,火袋に三日月や家紋などの形を切り抜いた外蓋をかぶせて,明るさの調節をする有明行燈などがある。陶製の行燈を“瓦燈”(がとう)という。一見手焙りのような形で釉を用いない粗末な焼物で,今戸や常滑焼などがみられる。変わった行燈に“八間行燈”がある。屋根形の八角形の笠をつけた大型のもので,湯屋や寄席など人の多く集まる場所の天井から釣った。“八方”ともいう。夜間に人の出歩きが盛んになると,店先に看板行燈も目立つようになってくる。また外燈として辻に置かれたのは辻行燈である。天保年間に圧搾空気を利用して,つねに燈油を循環させ平均した明るさを保てるように工夫された“無尽燈”が出現した。当時としては,その機構に目を見張るものがあった。植物油の普及と並行して蝋も出回るようになる。蝋燭は古く奈良時代からあったというが,当時の蝋燭は密蝋で大変貴重なものであった。江戸時代に入って,櫨(はぜ)や漆の実から採った木蝋が盛んにつくられるようになり,各藩の保護政策などにより急速に普及する。蝋燭は値段は高いが,油の明かりよりもかなり明るく,取り扱いも便利であった。とくに,蝋燭を使用した提燈は軽便な携帯用燈火として大衆化し,機能性の高いさまざまな形の提燈の発達をみた。幕末のころ,安政の開国と前後して米国から石油ランプが輸入されたといわれ,明治10年代以降に全国的に普及するようになった。粗悪ではあるが国産のランプも出回るようになるにつれて,行燈や燭台の燈火からランプへと,またたく間に移り変わっていった。ランプの明るさは,人々が驚嘆するほど文明開化の象徴,舶来の燈火であった。ランプの種類もきわめて多く,珍しい構造のランプとしては,巻心の空気ランプ,石油を気化して燃やす蒸気ランプ,炎を斜め下に向けた下向きランプなどがある。一般には実用本意の平芯ランプが多く使われ,芯の幅によって二分芯・三分芯・五分芯・八分芯ランプと区別をつけた。同じころ,瓦斯燈も点燈されたが,大正初年に電燈が入ってきて,古い燈火はすべて姿を消していった。
〔参考文献〕柳田国男「火の昔」『定本柳田國男集21』1970,筑摩書房