●東亜新秩序 とうあしんちつじょ
アジア 日本 AD
1930年代から太平洋戦争に至る時期の日本外交の基本的構想。このようなアジア主義的外交論は、明治以来も民間を中心に存在したが、満州事変以降の国際的孤立化とともに高まり、国策として具体化していった。1937年(昭和12)日中戦争が勃発し、日本側の予想に反し戦争が長期化すると、第1次近衛文麿内閣は翌38年11月3日、東亜新秩序声明を発するに至る。この声明は、日満支3国が協力して、国際正義の確立、共同防共、新文化の創造、経済統合を実現するため、新秩序を建設することが、〈我が肇国の精神に淵源し〉、〈帝国不動の方針〉であると公式的に初めて宣言したのである。これは、日中戦争長期化を隠蔽するためのイデオロギーとしての側面ももつとともに、明治以来日本外交の主軸であった英米協調路線を放棄し、アジア主義を国策化したものとして画期的なものであり、のちの大東亜共栄圏構想へと受け継がれていった。